★黒田昌彦のひとりごと(2010年)

救歯会20周年記念発表会のご案内(2010年11月20日)

期日:2011年4月16日?、17日?
会場:全電通労働会館(東京都千代田区神田駿河台)
テーマ:「救歯臨床と経過観察」
問い合わせ:法花堂歯科医院 FAX:043-255-2510
      E-mail:cbc79080@pop21.odn.ne.jp

※救歯会が発足してもう20年にもなります。若いメンバーが特徴だと言っていましたのに、その頃のメンバーが50歳を過ぎるようになってしまいました。そうです、20年も経てば私も歳を取るわけですよね。10周年記念発表会がついこの前のように思えるのは、歳を取った証拠です。「光陰矢のごとし、学成りがたし」とは良く言ったもので、ちっとも成長しない私です。でも仲間たちは着実に実力を上げてきています。それでも皆様にお見せできるほどものではございませんので、「講演会」ではなく、「発表会」です。ご多忙のところ、どうかお時間を作っていただきまして、私たちの発表をご覧いただき、ご助言とご指導を頂けましたら幸せです。現在の会員数は42名です。全員が発表へ向けて準備をしているところです。是非ぜひご参加下さい。お待ちしております。

今年のサマーセミナーは盛大(2010年8月28日)

今年は参加者が40名を超える大人数で、運営は嬉しい悲鳴

会場が狭くて教室型になりましたが、討論は盛んです

持ち込みのスクリーンで、二次会でも迫力あるプレゼンに

テレビ画面を使っても、プレゼンが始まり、大賑わいの発表会

飛騨牛の焼き肉を鉄板持参でベランダ利用、うまいっす!

鉄板で焼きそばまであって、そのうまいこと、最高!

こちらはご馳走を頂きながらのプレゼン評価

居酒屋顔負けのつまみの種類の多さ、車座の歯科臨床懇談

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今年の臨床歯科を語る会は新会場で(2010年7月2〜4日)

会場の府中は都心から1時間あまり離れますが、立派な会場です

30周年特別企画で、歴代実行委員長として発表しました

金子一芳先生はこの会の生みの親ですが、終始上機嫌でした

新人発表にはいつもコメントとしてきました

懐かしい押見 一先生が仲間を連れて参加は嬉しいです

往年のメンバーの北川原健先生、下川公一先生、永田省蔵先生

下川先生とこれほどの表情で談笑されるのは和やかです

ホール、二次会場、宿泊設備、ロビーなど言うことない良い会場

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今年の滑り納めは天元台スキー場(2010年4月24日)

山形県米沢市から車で40分ほどで天元台スキー場です。24日は真冬並みの寒さで、マイナス7℃でした。前日に少し雪が降ったので、とてもきれいなゲレンデでした。25日の朝は雲1つない快晴で、絶好のスキー日和でした。ベチャベチャの雪を予想していましたから、この雪は恵まれすぎていましたし、人も少なく、存分に滑ってきました。見晴らしが良くて、眼下に米沢市街が見下ろせます。

白布温泉の「西屋」に宿泊しました。あの火事のあと、昔のまま残っているのが「西屋」でしたから、こだわりの宿として満喫してきました。宿のたたずまい、インテリア、食事、お風呂、どれを取っても申し分のない満足感を味わうことができました。宿の応対がとても素晴らしくて、今時これほど暖かいおもてなしがある宿があるだろうかと感心してきました。

2日目には前日のマイナス気温のせいで凍り付いた霧氷が太陽の光に輝いて、まるで樹に花が咲いたように美しくキラキラと輝いていました。米沢市ではこれからサクラが咲くらしいのですが、スキー場では一足早く霧氷が咲いてきれいでした。天候にも恵まれ、雪にも恵まれ、気温にも恵まれ、宿にも恵まれ、素晴らしいスキーができました。

火曜会55周年記念講演会はすごい(2010年3月)

3月27日・28日の2日間にわたって開催された火曜会55周年記念講演会には、圧倒されました。40周年記念講演会は、「経過観察」をタイトルにして、この時も印象に残る内容でした。15年間の沈黙を経て開催された今回の55周年記念会は、火曜会が常にオピニオンリーダーだったことをあらためて聴衆に印象づけてくれました。これは助からないだろうという歯を助け、「こんな歯も助けられるの?」というような歯を残す努力には、会場からため息が聞こえてくるほどの感動的な内容でした。巷では「安易に歯を抜いてインプラント」という傾向が大流行で、雑誌やセミナー案内もインプラントだらけで、これで良いのだろうかと疑問に思っておりましたが、55周年講演会ではまさにその疑問に答えてくれる内容で、嬉しくなりました。

下地 勲先生の近著、「歯根膜の魅力」-インプラントを行う前に-の出版記念を出発点にして企画された内容でしたが、火曜会メンバーのケースプレゼンテーションを軸に、千葉英史先生、須貝昭弘先生、松井宏榮先生、下地 勲先生などの大物が独自の歯根膜の魅力を語り、最後に金子一芳先生のインプラントへの評価を込めて取り組みの変遷を語ってくれました。歯を残すこと=歯根膜に期待すること、すなわち歯科臨床の根幹であることを、いろいろな臨床場面で実例を示しながら語るなかに、安易にインプラントに頼る傾向への警鐘を鳴らしてくれました。プレゼンの素晴らしさ、画像の美しさ、臨床レベルの高さ、歯を救う努力など、「これぞ患者さん思いの歯科臨床だ」と訴えています。近年これほどインパクトのある講演は無かったように思います。

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金子一芳先生の東京歯科大学同窓会卒研セミナーで感動(2010年3月)

昨年の救歯会での講演では、1日講演などは体力的にとてもできないと言っておられたのに、冒頭から時間をオーバーして昼食時間にくい込むなど、午後も症例をすっ飛ばすなど、いつになくノリに乗って能弁でした。それだけに、内容のある充実した講演でした。先生の55年にわたる臨床家としての歩みとその時々に考えてきたことなどを集大成的に話されて、あれほど先生のお話を何度も聞いたことがあったにもかかわらず、はじめて聞くことが沢山ありました。卒研セミナーの今年のオープニングにふさわしい貴重なセミナーでした。聞けなかった方はほんとうに残念なことをしたと同情します。

「開業医としての楽しみ」と題したお話は、「55年間も臨床をやってきてまだまだ楽しいことがありますよ」と伝えたかったのだと思います。患者さんと長くかかわり、経過観察をしていく中で臨床的問題を見つけていく楽しみ、患者さんとの関わりで感じる楽しみ、悩みを語り合う中から親しみを増す歯科医同士の人間的つながり、後輩を指導することの楽しみ、など…、とても楽しそうなお話でした。同窓会長の大山先生が、開会挨拶で金子先生との個人的つながりを話されたり、最後まで聴講されたのも素晴らしいことでした。大学の教員の参加が少ないのがやや残念でした。参加者は250名ほどで、金子先生のファンが熊本や長野や岩手や青森からも参加していて、すごいナーと感服させられました。症例の一部が詳細に金子先生のホームページに紹介されているとのことです。まだまだお話足りない感じがするほど時間不足でした。

血脇記念ホールより天井が高くて大きなスクリーンが使えるところの会場にしたり、スクリーンを会場備え付けに不満を感じて外部から持ち込んだり、プロジェクターも解像度の高いものにするといったこだわりが随所に現れていました。相変わらずお元気でエネルギッシュにお話しされる姿勢は、とても78歳とは思えないものでした。私は先生より10年も若いのに、今後10年間これほどエネルギッシュに行動ができるかと考えると、とても及ばないと脱帽です。

火曜会スキーに参加してきました(2010年2月)

3年振りで火曜会スキーに参加しました。白馬さのさかスキー場の中京大学研修セミナーハウスです。昔は火曜会の入会条件が「スキーができること」だったのに、最近はそれが守られていないというのは寂しいです。金曜日の夜は8時から11時過ぎまで、金子先生のスキーに関する思い出話や、昔の火曜会の話など、なかなか聞けない貴重なお話が聞けました。天候が悪かったせいもあって、金子先生は2日間ともスキーは全くなさらずでした。1週間後に迫った卒研セミナーの準備が大変だったのかもしれません。卒研セミナーが大いに期待できそうです。

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★黒田昌彦のひとりごと(2009年)

またもや金子先生のご指導をいただき感激しました(2009年12月)

11月の金子一芳先生の講演会の後の二次会で話題提供をした発表者たちの画像が良くなかったということで、画像の指導をしてくださることになりました。12月2日に発表者9名のうち、日程の都合が悪く参加できなかった方の代理として愚息が紛れ込みました。金子歯科で、金子先生のパソコンの扱いを直に見せていただく貴重な体験ができましたが、これも金子先生の前で身の縮むような思いでプレゼンをしたことに対するご褒美でしょうから嬉しい限りです。

金子先生の愛用のパソコンを前にみんながディスプレーに見入っている様子がよく分かります。RAW画像が見事にきれいな画像に仕上がっていく模様が、まるで手品のように見事なので、「今度こそRAWで撮ろう」という声が圧倒的でした。自分の発表に使った画像が金子先生の画像処理の手にかかると、きれいな画像に仕上がって行くプロセスを見せていただき、すごく勉強になりました。ひっきりなしの質問に、疲れも見せない金子先生の熱意に脱帽します。

修正した画像をプロジェクターに映したりして、プロジェクターのことやカメラの機種やストロボやカメラ設定や撮影ミラーにまで話題が発展していきました。40年前の口腔内撮影カメラまで実物を見せていただき、金子先生の歯科用カメラ取り組みの奥深さと情熱を感じ取ることができました。NIKON -D1から始まったデジタルカメラ遍歴12年の歴史も語っていただきました。その重い遍歴の末に到達した現システムを教えていただきました。

3時間もの長時間をお茶一杯飲まずに語り続けていただき二次会場まで金子先生に予約していただき、ようやくビールでのどの渇きを癒していただきました。ここでも質問攻めにあって、ゆっくり飲んで食べていただく間もなく、教えていただきました。メンバーの若さ(未熟さ)と熱心さに仕方がないと思われたのでしょうか、金子先生は一人一人に熱心にお答えいただきました。この情熱には心から感謝申し上げます。今年は、素晴らしい年で閉めることができます。

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たて続けの講演で疲れました(2009年11月)

11月1日(日曜日)に福岡県で福岡歯科大学同窓会主催の学術講演会で講演してきました。朝10時から午後4時までの1日一人での講演でした。
テーマは「欠損歯列対応の変遷」です。パーシャルデンチャーへの取り組みの変遷をコーヌスクローネとその後を聞きたいということでした。約100名ほどの参加者でした。私がお茶が好きだと言ったら、演壇にまで飲みやすく冷ましたお茶を入れてくださいました。これには感激です。
九州大学歯学部卒の高島先生が同窓ではないのに参加してくれました。高島先生は北九州歯学研究会のメンバーで、臨床歯科を語る会の実行委員をしてくれていました。10年振りでしょうか、とても懐かしかったです。熊本からも参加された方が質問しに来られました。遠路聞きに来てくれて、ありがたいと思います。

11月8日(日曜日)に神奈川県の横浜で講演してきました。東京医科歯科大学歯科同窓会と東京歯科大学同窓会の神奈川県支部合同学術主催です。二つの同窓会が合同で、それぞれの出身者を講師にして行う講演会は今回で13回目だそうです。医科歯科大の講師は千葉英史先生です。タイトルは「救歯臨床のススメ」です。プロジェクターの色が合わず4台目にしてようやく使えるものになり、ホッとしました。
千葉先生はX線写真のきれいさでは抜群です。しかも今回、デンタルX線写真の術後経過を重ね合わせて時系列に動画にして見せてくれました。すごいことをやってくれます。この会には丸森英史先生や加藤武彦先生など、著名な先生が参加してくれました。懇親会では加藤武彦先生が熱弁をふるって感想を話しました。補綴学教室後輩の高橋 庸先生が担当でした。細やかなご配慮でとても快適でしたので感謝申し上げます。

11月14日(土曜日)に東京歯科大学同窓会山形県支部主催の講演会に呼ばれました。NHK大河ドラマで話題の米沢市が会場です。タイトルは「歯科からはじめるアンチエイジング」です。この日に宿泊できないので、前日13日に小野川温泉に宿泊しました。ここは小野小町ゆかりの静かな温泉場です。浴槽の窓から朝靄の見える景色(左の写真)は格別です。講演後に懇親会で米沢牛のすき焼きをご馳走になりました。山形市の五十嵐秀夫先生がお越しになり、83歳の今でもスタディー・グループ(東北デンタルリサーチグループ)をまだ続けているとのこと、感服しました。14日最終新幹線で帰京し、15日は朝から救歯塾で講演です。

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金子一芳先生の講演会が素晴らしく良かった(2009年11月)

11月7日(土曜日)国際フォーラム会議室にて救歯会の講演会を金子一芳先生を講師にお招きして開催しました。講演依頼をしてから了承していただくまでには、例のごとく大変な苦労がありました。二つ返事というわけには行きませんで、了承をいただくまでに3ヶ月の期間が必要でした。今回の企画は、金子先生の歯科評論誌に連載された論文「テレスコープとインプラント」を若手13名で抄読会を行ったことから始まります。論文がレベルが高くて理解しにくいというのが本音でした。昨年「パーシャルデンチャーとインプラント」という書籍の出版記念会で金子先生のお話が聞けると期待しましたが、金子先生のお話が少なくて、まだまだ理解できませんでした。

今回講演を受けていただく条件として、話題提供の症例呈示をするようにということでしたから、抄読会に参加したメンバーに症例を出してもらい金子先生にコメントをいただくという形式になりました。10症例を金子先生にご覧いただき、そのうち3〜4症例くらいが選択されるだろうと予想していましたら、なんと10症例全部やることになりました。発表予定の9名は緊張のあまり、予演会をしてほしいということになり、その準備に大わらわでした。当日は金子先生の前で発表するという緊張でみんな顔が引きつっておりました。金子先生からコメントをいただけた発表者はみんなとても喜んで感激していました。結構ズバリと厳しいコメントなのに…。さすがに金子先生のコメントは鋭いなーと感服!

あれほど講演に難色を示しておられたのに、当日は終始ニコニコ顔で、不思議なほどでした。その理由が懇親会でようやく分かりました。講師と受講者の関係が、いつも一方的に講師は話すだけで、聴衆の反応が聞けないつまらなさを訴えておられました。つい1週間前に神奈川県技工士会で講演してきて、やはりつくづく嫌だナーと思ったそうです。この救歯会の講演会では、金子先生のことをすごく尊敬していて、論文を抄読し(理解の程度はご勘弁を…)、自分たちの疑問を具体的に症例呈示しながら問いかける形式にしたことがよかったのではないかと推察します。懇親会でもよくお話してくれました。質問攻めで食事も食べる間もなく金子先生ほんとにスミマセンでした。

懇親会の後、お送りしようと思ったら「今日中に帰れたらまだ良いよ」とうれしいお言葉をいただき、準備していない3次会の会場を急遽探しました。6名くらいしか入れない狭い場所に13名を詰め込んでの席にもかかわらず、終始ニコニコと若手の歯科医に優しく諭すようにお話ししてくださって、すごく楽しくうれしい会になりました。終わってから、「金子先生って怖いと思っていましたが、こんなに優しいなんて」、「コメントがうれしくて、今晩は眠れません」、「もっとパーシャルデンチャーで汗をかいてからでないとインプラントできません」という意見が聞けました。今回の救歯会の講演会は大成功でした。金子一芳先生、本当にほんとうにありがとうございました。

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スタディー・グループ「創志会」で講演してきました(2009年7月)

7月18日に東京のスタディー・グループで講演をしてきました。近年全く忘れ去られているテーマ「咬合を日常臨床に活かす」という講演です。参加者は17名と少ないのですが、かえってじっくりとお話ができてとても楽しい会でした。咬合という幅の広いテーマをどうお話ししようかと悩みましたが、咬合器の必要な症例を取り上げ、咬合に関する知識や用具がどのように使われているかをお話ししました。少数歯残存症例を3症例お話ししました。どの症例も、口内描記装置で咬合採得し、チェックバイトで調節性咬合器に顎運動のトランスファーを行っているのをお話ししました。咬合に関する解説書が手に入らなくなりましたので、長谷川成男先生の編集「臨床咬合学事典」(医歯薬出版)を是非お読み下さいと申し上げました。調節性咬合器を持参して見て頂きましたし、自作のゴシックアーチ描記装置を買って頂いたり、金属製のスプリットキャストプレートをオススメしました。
今やどこの雑誌を見ても「インプラント」ばかりです。若い歯科医が何をどのように研修すればいいのかが分からなくなっています。何とかならないものでしょうか?

2009年臨床歯科を語る会が盛会でした(2009年7月)



2009年の臨床歯科を語る会が7月3日(金曜日)夜から2泊3日で開催されました。駒場エミナースで行われるのは今年限りで、来年からは府中市に会場を移すことになりました。歯科界が不景気なせいでしょうか、新入会員が20名もあった割には今年は160余名の参加で、やや少なめです。新入会員がこれほどあるということは、ニーズがあるということでしょう。

昨年私はテーブルクリニック「黒田式コーヌスクローネ」をやりましたが、今年はアンコールで「コーヌスクローネ 実践編」をやることになりました。黒田歯科の元技工士の玉置博規さんと、現在の黒田歯科技工士の石山 透さんと一緒に技工士とのチームワークをデモンストレーションしてきました。参加者が多くて会場があふれてうれしい悲鳴です。参加者を代弁する形式で、吉野浩一先生、福山 愛先生、斉藤秋人先生の協力を頂きました。すべて救歯会の若手の先生ばかりです。

分科会「トリートメントプラン」は西原英志先生と日高大次郎先生の企画で、壬生先生の症例を中心にしてディスカッションが熱心に行われました。ここでも法花堂 治先生服部夏雄先生の協力があり、どこでも救歯会が大活躍です。野地一成先生が新人発表を見事にやってくれました。おめでとう、ご苦労様といいたいです。

金子一芳先生が喜寿を迎えられ、多くの女性会員から花束を受けてはにかんでおられました。来年は30周年になります。金子先生本当におめでとうございます。ご苦労様です。

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★黒田昌彦のひとりごと(2008年)

救歯会サマーセミナーも盛会でした(2008年8月)

8月29〜31にエクシブ山中湖にて恒例の救歯会サマーセミナーが行われました。東京はまだ残暑が厳しかったのですが、ここ山中湖はとても涼しくて朝夕は寒いくらいでした。総勢35名の参加で、29日(金曜日)の19時集合で20時からスタートし、23時まででした。前夜祭からケースプレゼンテーションの連続でした。その後部屋に戻ってからも美味しいつまみ(饅頭や大福などもあります)とお酒を頂きながら、症例相談が深夜の2時半まで続きます。

どうしてこんなに歯の話ばかりで飽きないのだろう…と思うほど、話題が尽きないのです。

30日(土曜日)は朝9時から夕方5時までケースプレゼンテーションが続きます。34名全員のケースプレゼンテーションを1日で聞くという試みは、発表時間やスライド枚数の制限など無謀なところもありますが、毎月の例会では得られない新鮮な収穫も得られます。大変厳しいことですが、35名の中での自分の位置づけが良く認識できます。夕食後には20時から22時半まで、技工士の発表や文献抄読の報告と解説があります。ようやく解放されるのが23時からで、またもや美味しいつまみとお酒で語り合うこと、深夜まで及びます。

31日(日曜日)は朝9時から全員での症例検討討論会が1時間あまり、そして私の発表があります。何せ3日目ですし、連日深夜まで歯の話をしてきましたから、全員が疲れています。そういった環境の中で居眠りをさせずに興味を持って聞いて頂くケースプレゼンテーションは、本当に疲れます。今年は歳のせいでしょうかとくに疲れました。来年からは、最終日の私のケースプレゼンテーションの時間を変更して貰いたいと切に思いました。

エクシブ山中湖は、宿泊と食事がとても快適でした。和食、イタリアン、中華料理、バイキングと変化を持たせた食事に満足できました。ただ一点、温泉がないことだけが残念です。

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臨床歯科を語る会でテーブルクリニックをしてきました(2008年7月)

恒例の臨床歯科を語る会が今年も7月4日〜6日に駒場エミナースにて開催されました。前夜祭、宿泊、大会場、分科会、懇親会 とすべてに快適で素晴らしい会でした。すでに窓際の身の私としては、何ら発表の機会など無くて良いのですが、どういうわけか今年はテーブルクリニックをすることになりました。タイトルは「黒田式コーヌスクローネへの誘い」です。 予想以上の参加者数に驚きましたし、プレッシャーを感じました。

もう二度とこのような機会はないと思いますので、おみやげをいくつか準備しました。「コーヌスクローネ製作ステップ」のパネルを作製してお渡ししました。6度のテーパーツールを実費¥1,000でお分けして、ネガティブヴィンケルを作らないための支台歯形成チェックのデモをご覧いただきました。全周6度の内冠製作のためにも支台歯形成がポイントですし、そのチェックにもこの6度のテーパーツールが威力を発揮します。著書「コーヌスクローネ」を出版してから、もう22年にもなります。改訂版を出すようにと言われますが、もうあの苦労はしたくありません。

金子一芳先生の10年以上前の論文も読まれていない(2008年6月)

近年「審美歯科」が話題としてよく取り上げられます。患者さんの要望としても、歯と同じ色調の修復物を求められます。インプラントの上部構造にもセラミックがよく用いられるようです。私は保守的なのでしょうか、セラミックには疑問を持っておりますので、なかなかセラミックに移行できないのです。それというのも、金子一芳先生の論文が頭の中に深くインプットされているからです。そのことを最近話題にしますと、そんな論文見たことがないといわれて驚いたのです。先の黒岩先生の論文といい、金子先生の論文でも同じ体験をしたので、これは困った現象だと落ち込んでいます。
金子論文は「新しいセラミックスへの期待と蹉跌」という題の3号連載で、歯界展望1996年1月号〜3月号に掲載。新しい技術・材料に取り組む姿勢、その術後経過の記録、その後始末の苦労など、深い考察に頭が下がる思いです。是非一読を!

スタディー・グループ全員が「歯の生涯図」を活用(2008年5月)

4月13日に千葉県柏市の「柏スピーキーズ」で講演してきました。 このスタディー・グループは11名の少数精鋭の会員で構成された歴史ある研究会です。私が一方的にお話しするのではなくて、全会員が症例発表もしてくれました。その会員発表が素晴らしい内容で、時間も厳守で、事前抄録も準備されて、すべてに術後経過がついていました。
さらに驚いたことに、「歯の生涯図」をつけて発表されたことです。私の提唱している「歯の生涯図」がこれほどまでに活用されていることに、とても嬉しくなりました。

黒岩先生の論文の抄読会を始めます(2008年5月)

私が感動した黒岩先生の論文なのに、この20年以内に歯科大学を卒業した歯科医は読んだことがないという現実が分かって驚いています。とりわけ「近代歯科医療への提言」はその続編とともに是非読んで頂きたい論文です。若い歯科医の集まりである「黒田塾」で黒岩論文の抄読会を始めることにしました。最小限の侵襲ということでMI(ミニマル インターベンション)が提唱されていますが、黒岩先生こそ30年以上前からそのことを実践されてきました。その辺の変遷を知らない方がミニマルだとかと言い始めたようです。切削や侵襲をくわえることなく、乳歯ならサホライドでう蝕を抑制し、エナメル質の初期齲蝕の白斑程度ならブラッシングで再石灰化を促そうという臨床姿勢には大いに影響されました。黒岩先生の論文は、歯界展望の12月号の参考文献に掲載されていますので、是非お読み下さい。

歯界展望12月号の黒岩 勝先生の論文に感動 (2008年1月)

黒岩先生のことは30年以上前の「サホライドによる乳歯齲蝕抑制」の頃から注目しておりました。歯ブラシ圧、エナメル質の白濁の再石灰化、近代歯科医療への提言など、重みのある論調にいつも触発されてきました。
今回の論文は黒岩先生の集大成ともいえる内容で、重いながらも軽いタッチで書いておられるところが流石だと感心しております。是非お読み下さい。

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★黒田昌彦のひとりごと(2007年)

11月3日から1ヶ月間入院しました(2007年12月)

今回のことは、11月3日の緊急入院に始まります。兆候は4日前から胃の痛みとしてありましたから、かかりつけ医の胃腸科の先生のところで診療を受けておりましたが、当初は風邪か、あるいは十二指腸潰瘍かといった感じでした。胆石は25年前からありましたし、今回の痛みは胆石の痛みとは違っていました。血液検査の結果が出たとたんに、白血球数が18,000あるとのことで「直ぐ入院しなさい」と、逓信病院に先生が電話をして下さり入院室の確認や担当医の確認をしていただいて、30分後には緊急外来の受付へ行きました。慌ただしくCTや血液検査やいくつかの検査を受けた後、入院室へ案内され、パジャマに着替えて点滴が始まり「禁食」がスタートしました。
この日の日没までは大したことがないと自分では思っていたのですが、それからが大変で、2度死ぬ思いをしました。熱がどんどん上がり39度にまでなりました。氷枕やアイスノンなどを身体のあちこちに置きましたが、身体の中心に火の玉を抱いているような感覚で、汗があちこちから噴き出すのには「これはもうダメかも?」と思いました。そのうえ激痛が重なり、痙攣を伴った痛みで、それはもうすごい痛みでした。全身がすごく痙攣するので、これはきっと疼痛性のショックでこのままあの世へ行くのかナーと思いました。自分の感覚では痙攣が1時間も続いたと思ったのですが、実際は15分ほどだったようです。
その後4日間は熱と痛みに苦しみました。5日目から峠を越えて、6日目には水の許可が出て、その時口に含んだ水のなんと美味しいこと!感激しました。
7日目に重湯が出て、一週間ぶりに口にした食事が、食べられるってこんなに美味しいことなんだ!とこれまた感激しました。
続けて手術してほしいと思いましたが、とても炎症がひどくてこの状態だと手術できませんと言われて待つことにしました。2週間経ってようやく小康状態になったところで、さらに手術のための検査になりました。この際だからとあらゆる検査を受けました。そして大丈夫だということになって11月29日が手術日となりました。手術後の2日間は辛かったですが、最初の時の苦しみを経験した後なので、それほど辛くありませんでした。その後は日増しによくなって行くのを体感できてとても嬉しくなりました。ちょうど1週間後に退院できました。

今回の入院で、健康のありがたさをほんとうに体感できました。大げさかも知れませんが、「幸せのリセット」ができました。水のおいしさ、食べられることの幸せ、痛みのない幸せ、他人の思いやりのありがたさ、シャワーを浴びられる喜び、点滴やドレーンの束縛がない幸せ、生きていることの幸せ…などなど、周りのものすべてに感謝したい気持ちで一杯です。まだ完治というところまで到達しておりませんので、気を付けながら過ごすつもりです。

金子一芳先生の論文に感動(2007年12月)

インプラントを積極的に自らやらない方が、これほどインプラントの問題と必要性を分析されていることに驚きました。ヒョーロンの4月号から10回連載されています。もとより欠損歯列に精通しておられる先生ですし、物事の本質を鋭く見抜き検討される方ですから、インプラントがこれほど広まってきているときだけにここで一言言っておきたいという気持ちがあったことと思います。インプラントの適応に関する論調やインプラントの種々の問題に関して、ほんとうにそうなんだと納得させられることがたくさんあります。金子一芳先生のページだけを切り取ってファイルしております。これを読まずしてインプラントに取り組むべからず!

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今年の救歯塾は素晴らしい反響(2007年7月)

今年の救歯塾は何ら宣伝しないのに、75名の受講者が参加してくれました。セミナールームが狭く感じます。今年は「コーヌスクローネ」をテーマにしました。私が「コーヌスクローネ」の著書を出してからもう20年以上も経ちます。最近では「コーヌスクローネ」が話題に上ることがほとんどなくなりました。誌上でも、講演会でも、「コーヌスクローネ」を見かけることがなくなりましたので、それを学ぶことができなくなったのです。どの雑誌も「インプラント」ばかりです。セミナー宣伝も「インプラント」が目に余るほどです。欠損歯列への対応がインプラントだけで対処できるわけではないでしょうに。とりわけ、少数歯残存症例ではインプラントは無理です。コーヌスクローネを学ぼうと思っても、教えてくれるところがありません。
そこで救歯塾で「コーヌスクローネ」を取り上げることにしました。そうしたら、まったく宣伝していないのに、50名の定員を大幅にオーバーしてしまいました。まさにうれしい悲鳴です。今年は実習を多く取り入れていますから、欠席者も少なく、7月に4回目が終わりましたが、毎回充実した内容です。うれしい感想を下さった1例を掲載します。

「今回実習で皆さんが持ってきたコーヌスの内冠が、あまりにも多様でびっくりしました。さすがに、皆さん勉強されていたので大きくはずすようなものはありませんでしたが、細かく拡大していくと色々と違いがわかり、面白かったです。 私が所属していたB班では、やはりネガティブヴィンケルのできた内冠が多く、技工士さんの問題もあるとは思いますが、やはり支台歯形成の問題が多くあるとの意見が出されていました。また咬合面の面取りの形態などは本当にさまざまなものがあり、人か変われば、その人の数だけ、あるんだと感じました。
玉置さんのミリングデモでは、実際にどのような作業かを見ることができ、大変勉強になりました、しかも私の場合体験させていただき、技工士の労力の大きさを感じることが出来ました。マージン部分に穴を開けないよう、さらにネガティブヴィンケルを作らないようにというミリングは、筆舌しがたい根気と努力の賜物により生まれるんだと感じ、技工士さんに本当に感謝したいと思うと同時に、自分自身技工士が作りたくなるような、またすばらしいものが作れるような、支台歯形成、印象採得をしようと思いました。9月のゴシックアーチ実習も楽しみにしております。」
(苅谷歯科医院  苅谷憲明先生)

今年は講演依頼が多くなりました(2007年6月)

昨年は原稿を多く書いたせいでしょうか、講演依頼が随分と多く来ています。それも、あまり今まで依頼のないところから来ます。もうこの歳ですから、歯科界から忘れられた存在になっても仕方のないことです。
「コーヌスクローネ」の時代から見れば、すでに20年以上も経っていますから、忘れられて当然です。「コーヌスクロダ」といわれた時代は、月に2〜3回のペースで、年間20回以上の講演回数でしたから、たいへん失礼ながら、どこで何を話したか忘れてしまうほどでした。コーヌスクローネの講演から随分と変遷がありまして、5年ほど前からは「かかりつけ歯科医」と「メインテナンス」中心の講演テーマでした。今年はテーマの幅が広く、「救歯臨床」、「長持ちさせる歯科臨床」、「患者さんのための歯科臨床」、「パーシャルデンチャー」、「コーヌスクローネと少数歯残存」などです。
私にとって見れば、幅が広いテーマとはいえ、私のライフワークそのものですから、まったく違和感がなく「一つのテーマ」です。コーヌスクローネも欠損歯列も、かかりつけ歯科医とメインテナンスも、救歯臨床や患者満足や長持ちの歯科臨床は、それこそ私のライフワーク的なテーマです。このような講演依頼ならとても嬉しいことです。

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2006年は原稿を多く書きました(2007年1月)

※デンタルダイアモンド6月号〜12月号、社の30周年記念として7回連載させてもらいました。
*「歯を守り、残すためのメインテナンス--その効果と定着を考える--」というタイトルです。詳細は「臨床ヒント 〜オススメ図書〜」。

※歯界展望11月号に30ページ特集、「歯の生涯図」に市民権を得たいという一心で書きました。
*現在歯数の推移から読む「治療効果」「患者満足」 --「歯の生涯図」の歯科医院における活用というタイトルです。

※日本歯科医師会雑誌12月号と1月号、全国65,000名の歯科医に訴えたいという意気込みです。
*「歯を救って長持ちさせる歯科臨床」を12月号では救歯臨床、1月号では患者満足、治療効果のサブタイトルです。1月号には扉にカラー口絵がつきました。症例写真はカラーでなければ迫力がありません。ようやく1ページだけカラーを頂きました。

これほど書きまくったのですが、反響があまりに少なくて…、やはり独りよがりなのかなーと淋しくなりました。

私がこの10年間で訴えてきたこと(2007年1月)

*救歯臨床、EBM、かかりつけ歯科医、メンテナンス、長くかかわる歯科臨床、歯を守る、歯の生涯図、患者満足、治療効果

私がこの10年間、こだわりながら訴えてきたことはこれらのキーワードです。「救歯臨床」「患者満足」「治療効果」は私のライフワークでもあります。
この10年間の私の論文を列挙してみますと、このことがよく分かって頂けると思います。

*処置の客観的評価を求めて.補綴臨床別冊,診断と治癒像を探る,79〜96,1989.
*患者さんの望んでいる歯科医療を行うために.日歯医師会誌,53(7):44〜48,2000.
*パソコン名簿管理で、かかりつけ患者さんを増やす.日歯医師会誌,53(12):20〜21,2001.
*EBMを歯科臨床に活かす(座談会).日歯医師会誌,55(2):33〜51,2002.
*長くかかわる歯科医療の実践.歯界展望別冊,5〜28,2004.
*歯を守る.補綴臨床,38(3):332〜335,2005.

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★黒田昌彦のひとりごと(2006年)

とっても楽しい講演会でした(2006年9月)

青森市美術館のオープニング記念の「シャガール展」を見せてもらいました。バレー舞台の背景画が圧巻で、横12m縦10mの絵4枚が一堂に会してみられるのは史上初めてのこと。この3枚が青森市のもので、あと1枚はフィラデルフィアから借りたものです。シャガールの素晴らしさを再確認させられました。是非ご覧あれ。

9月1日〜3日、青森県弘前市に行ってきました。主催が弘前市、西津軽郡、北津軽郡、南津軽郡の4支部合同です。例年は参加者が40名ほどだということでしたが、今回はスタッフも参加できるようにしたこともあって、168名の大多数の講演会になりました。救歯会メンバーの梅原先生が学術委員長だったので、彼が私を講師に指名したのだろうと思っていたら、弘前市の会長の佐藤孝雄先生の指名だと聞いて感激しました。講師は品田衛生士と私の二名です。
会場が市民会館ホールで、200名収容、スクリーンが横7m、プロジェクターを青森県歯会のものを借りてきたとのこと。完璧な申し分のない準備でした。弘前市会長が30年以上前に私が青森県でセミナーをしていたのですが、それを受講されたのを覚えておりまして、調節性咬合器やチェックバイトのことを忘れませんと言ってくださったことに、またもや感激しました。とてもうれしい楽しい講演会でした。

梅原先生以外にも救歯塾の受講者3名(弘前市と青森市と野辺地町から)が一緒の宿に泊まってくれて、それはもう楽しくて楽しくて…、感動ものです。命の洗濯もできました。こんな講演なら何度もしたいなー!

宿泊は弘前から車で30分の「岩木荘」という国民宿舎でしたが、内容は高級割烹旅館です。木材中心のインテリアで、青森ヒバの大浴槽で、木の香りが一杯の温泉です。露天風呂が広くて大満足です。

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600人もの方が聞いて下さいました(2006年7月)

7月23日にジーシー友の会30周年記念ということで東京臨床講座で講演する機会を頂きました。有楽町の国際フォーラムの会場が600名で満杯に埋まりました。案内パンフレットには定員500名という案内だったのですが、「300名も来てくれれば最高だから…」とジーシーの方に申し上げて、会場をもう少し小さいのに変更して下さいとお願いしてあったのです。それが、ジーシーの担当者から前々日に電話がありまして、「参加者が600名を超えそうで、今会場設営を変更しているところです」と嬉しい悲鳴が聞こえてきました。
私がコーディネーターで、救歯会の3名の演者に協力をお願いしました。服部夏雄、西原英志、法花堂治の3先生です。タイトルは「歯を救って、長期に守る」〜救歯臨床のススメ〜です。この3名の先生は600名を前に話すのは初体験です。あがるのではないかと心配しましたが、意外に落ち着いて、時間配分も見事にみんな5分前に終わってくれました。私がはじめの35分、3名の先生には各75分、最後に私が60分、という分担で行いました。最後まで聞いて下さった方々に深く感謝します。

終わってジーシーが食事をご馳走して下さった後で、押見 一先生から携帯に電話がかかり「今飲んでるけど、話したいから出て来ませんか」、有楽町のガード下の居酒屋に駆けつけました。行ってみると、火曜会の松井宏榮先生を含め6名ほどの方が楽しく飲んでいました。松井先生から「黒田先生の講演の終わった後、涙が出てきました」という嬉しい感想を聞き、私の方が目頭が熱くなる感動を覚えました。押見先生も「終わった後誰も席を立つ人がいなかったのは、みんな目がウルウルしてきてたんでしょう」という言葉に2回感激しました。
歯科医療というのは、本当はこういうことではないでしょうか。歯を抜かれて喜ぶ患者さんはいません。危ない歯を救って長期に守っていくとこれほど患者さんが喜んで下さる。予知性がないからといって抜歯してインプラント、こういう医療は許せません。というようなことを、25年以上経過観察の症例を呈示しながら訴えました。押見先生や松井先生のようなトップクラスの先生が共感を持って下さったことに予想以上のうれしさを感じ、最高の気分で終えることができました。多謝!

講演後に嬉しいお便りを頂きました(2006年7月)

※昨日は貴重なご講演をありがとうございました。久しぶりに元気の出る講演を聴かせて頂きました。救歯塾や東京歯科の卒研セミナーなどで何度か拝見させていただいたことのある症例もありましたが、また新に感動させていただきました。冒頭のエンドのケースをはじめ、コーピングで残すのもやっとと思われる左下2をコーヌスに取り込んだ79歳のケースなど、自分の診療室ではどのケースも諦めることが患者さんのためになるのでは?などと思って安易な方向に進んでしまいそうです。昨日の講演では安易な方向に流されてしまう診療の姿勢を戒めていただきました。
今朝のミーティングでは、昨日の講演会のなかで先生がお話された
 *偏見をなくそう!
 *自分の健康を自分で守ろう!という患者さんを大切にしよう
 *継続来院は患者満足の現われ
をスタッフに伝えました。20年ともなると、おそらく2〜3年の継続来院ではとても分からない苦労があることは間違いないですが、自院でも現在継続来院してくださる患者さんたちににもっと満足していただける手立てを考えていかなければ長いお付き 合いはできないだろうと思います。全体の構成もすばらしく、3人の先生方の人柄がにじむ講演でした。すばらしい先生方のいる救歯会に籍をおかせていただいて本当に良かったと痛感した1日でした。ありがとうございました。
(壬生秀明先生より)

※日曜日の講演会はお疲れさまでした。飛行機の都合で最後の15分くらいは聴くことができませんでしたが、久々に大変聞き応えのある講演会でした。日頃からの先生方、そして救歯会の先生方の臨床に対する姿勢がとても良く伝わってきてきました。最近はややくたびれ気味のKDMとは違い常に一貫した研鑽の姿勢を維持されているのには大変刺激を受けました。中でも、最後の黒田先生の著書「コーヌスクローネ」の中の25歳の男性のケースの経過は初めて拝見させていただきましたし、圧倒されました。右隣が鈴木尚先生、前の席が鷹岡先生、須貝先生だったのですが、私も含めて身を乗り出して、食い入るように拝見されていたのには、少し笑ってしまいました。でも、それだけやはり皆圧倒されていたからこそでしょう。大雨の中を上京しただけの甲斐がありました。
KDMも私も先生方に負けずに頑張らねばなどと機中で思いをめぐらせながら帰途につきました。
(熊本KDMの松田光生先生より。大雨で航空便が不安なのに…)

※昨日はありがとうございました。とても充実した一日を過ごせました。なんと言っても、黒田先生の写真のきれいさ、レントゲンのきれいなこと、またそのレントゲンから内冠のマージンの適合具合のすばらしさが容易に読み取れること、まだまだいっぱいありますが、もう本当に脱帽です。
1本支台のコーヌスデンチャーが、あれほど長い経過をたどるなんて、誰が想像できるでしょうか?公園のシーソーと同じだから、支台歯を中心に左右の顎堤が沈みこんで、支台歯が揺すられてすぐにだめになるという先入観を持っていました。ところが黒田先生のはだめになっていませんでした。そうですよね。よく考えたら、動かない義歯だから、顎堤粘膜の吸収が防げるんだと何となく気がつきました。
コーヌステレスコープデンチャーとは、エンド、ペリオ、外科、補綴、レントゲン、義歯、咬合学、そして、衛生士とともにあるメインテナンス、歯科医学のすべてに高いレベルが要求されて成り立っているものだと確信しました。私のレベルは、まだまだですが、患者さんに喜んでもらえるように頑張って勉強していきたいと思います。またお会いできる日を楽しみにしています。
(名古屋市中村区 加藤善久先生より。遠方からお越し頂き感謝します)

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臨床歯科を語る会で趣味の話をしてきました(2006年7月)



恒例の臨床歯科を語る会が今年も渋谷区駒場エミナースにて7月7〜9日にて、楽しく開催されました。実行委員長を辞してからは、少し休ませて欲しいと思っていたのですが、今年は少しは楽だとは言われながらも、ランチョンミーティングの演者をさせられました。
テーマは色々悩んだ末、「スキー 80歳まで滑りたい」という内容で1時間半の持ち時間を、楽しく食事をしながら語ってきました。火曜会とスキー、NHK教育テレビ「中高年のためのスキー術」出演、海外のスキー場、私の好きなスキー場紹介、私の滑り…、などで結びました。
「一緒に滑った3年前とはまったく滑りが変わりましたね」とうれしい評価をして下さったのは、愛知県半田市の村井雅彦先生でした。村井先生はスキーを卒業してボーダーに乗り移って、両方を滑りこなすきわめてすごいスーパースキーヤーです。「山スキーも楽しいですよ」と言ってくれる長野の先生もおられて、けっこうスキーが好きな方が多いのには感心し、嬉しくもなりました。

別の部屋では、永田省蔵先生が「私の診療室の新築あれこれ」と題して、2億円とも5億円とも言われる超高価な診療室、こだわり診療室、の話だそうで、聞けなかったのは残念です。私の年齢では診療室の立て替えがとてもできませんので、聞いても参考にできないから良いのですが…。

「これぞ待ちに待った硬石膏」がジーシーから出ました(2006年6月)

クラウン・ブリッジの咬合調整量が気になったとき---今から30年ほど前---から、ニュープラストーンの膨張率に疑問を持ちました。そのころとても素晴らしい論文に出会いました。「クラウン製作各ステップにおける咬合の高さの変化」に着目した論文です。医科歯科大学補綴の松下和夫先生の研究でした(「歯冠補綴物の咬合面精度に関する研究-全部鋳造冠の製作過程が咬合の高さ」補綴学会誌26巻2号:28〜44頁、1982年)。
こんなに素晴らしい研究論文なのに、ほとんど引用されることがないのが不思議に思います。クラウン・ブリッジ専攻の大学院修了の先生3名ほどに伺っても、この論文を知らないという。間接法の基本の基本だと思うのですが…、よく聞いてみるとこの論文が難しすぎるということらしいです。現に、私も一度読んだくらいではほんとうの内容が理解できたとは言えません。3回ほど読んでようやく理解できました。
さて、クラウン製作過程での咬合の変化は、二次石膏に使われている硬石膏の膨張率の大きさせいではないかと直感的に思いました。それで、ジーシーにお願いして低膨張の硬石膏を作ってもらいました。それをこの20年間使ってきました。早く商品化してほしいとお願いしてあったのですが、市場がそのニーズがないということで無視され続けました。この1年前から、ようやく本腰を入れて低膨張の硬石膏を作ることになったのです。私のところの咬合調整量が他の歯科医の方に比較して異常に少ないのを、見学に来た歯科医が驚いていました。低膨張のニュープラストーンのおかげです。ようやく商品化されましたので、お使い下さい。
GC CIRCLE 116号に「これぞ待ちに待った硬石膏」というタイトルで論文を書きました。是非参考までにお読み下さい。

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★黒田昌彦のひとりごと(2005年)

講演後に嬉しいお便りいただきました(2005年11月15日)

11月10日に都内港区で講演してきましたら、その後に嬉しいメールを頂きました。講演後に、学術担当の方から何らかの反応を頂くことは毎回必ずあるのですが、受講された方からお便りを頂くことは滅多にありません。それだけに感想を頂けただけでも嬉しいのですが、具体的な内容についてのコメントを頂けると有頂天になるほど嬉しいです。以下にご紹介します。

木曜日の講演会お疲れ様でした。先生の講演を聞かせて頂いて、患者さんとの関わり方を改めて考えました。90歳の患者さんのところでは、一人の患者さんとああいう幕の降ろし方ができたら本当にいいなあとしみじみ思うとともに、あの場面ではちょっと感動して涙が出そうでした。あの年齢と歯の経時的変化のグラフに「80歳以上がないんですよ…」という先生のお言葉も重みを感じました。
また訪問診療に行かれて必ず患者さんが食べられるか確認してから帰るという話のところでは先生の患者さんに対する優しい目を感じました。とても勉強になりました。参加して本当によかったです。ありがとうございました。今度はスタッフを連れて参加したいと思いました。
(都内で開業している歯科医、ご本人のご了解で氏名を伏せて掲載)

救歯塾セミナー盛会に終わりました(2005年10月23日)

今年は45名の受講者でした。最後の懇親会には38名も参加してくれて、みんな一言ずつ感想を言ってくれました。今年初めて参加された方は、概して驚いた方が多く、こんなセミナー初めてだという声ばかりでした。
というのも、毎回宿題のレポート提出があり、症例写真を持ってくるように言われ、厳しいような感じだったようです。少人数でのグループ討論があり、常に発言を求められ、居眠りしているヒマがないセミナーだからです。でも、終わってからみんな自分で実力がついたと実感できたのだと思います。リピーターはこぞって来年も参加すると言ってくれました。受講者からの感想のメールと来年のプログラムをセミナーのページでご覧になれます。

読売新聞に写真入りで掲載されました(2005年9月27日)

読売新聞「医療ルネッサンス」の「虫歯治療の今」というコラムで、「神田の黒田歯科医院」として紹介されました。
2時間におよぶ取材を2回も受けてたくさんのことを訴えましたが、印刷されるとこんなものかと思うほどのボリュームです。「保険診療と自費診療の金額の差があまりに大きいが、それはなぜか」という問いかけに、具体例を挙げて説明をしました。私は、「時間」と「材料」と「技術」という3点に絞って説明しました。
保険でのクラウン・ブリッジや義歯には限界を感じます。きちんとした治療を自費で受けてほしいと訴えました。あまり世間で知られていない「歯科技工士」さんの努力も訴えました。写真は、実態顕微鏡を使って、精密な作業をしている技工士さんの姿です。読んでくださる方々が、きちんと理解をして、自費治療に対して理解を増して頂くことを期待しています。
「金額の差が大きいのに、長持ちの差がそれほどない」ことへの質問もありました。「長持ち」には、技術の差が大きいことと、その後のメインテナンスが大きく左右することもデータを示して説明しました。

20年以上も長持ちしている例をいくつも見て頂きましたが、結局は「一個人歯科医のデータだから」という一言でケリ。臨床疫学とバイアスとの関係、EBMへの道が遠いと感じました。
詳細はこちらでもみられます。

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読売新聞を読んでの嬉しいメール(2005年9月27日)

別件なのですが医療ルネッサンスの記事、拝読させていただきました。歯科に関心の高い患者さんが切り抜いてお持ちになったのですが、私が黒田先生には卒直後から基本的なことを教えていただきましたと伝えたところ保険希望だった患者さんが自費治療になってしまいました。こんなところでも黒田先生のお力添えをいただき大変感謝いたしております。ありがとうございました。
(東京都内の先生)

とても嬉しいメールです。こういう効果をもっとも期待しておりました。

救歯会のサマーセミナー楽しかった(2005年9月8日)

8月の最終土日は恒例の救歯会サマーセミナーの2泊3日の合宿が行われました。8月26日金曜日の午後7:30に軽井沢XIV(リゾートホテルのイクシブ軽井沢)に集合です。
今回は33名の大所帯です。今年のテーマは「経過観察」です。「自分の一番経過の長い症例」をプレゼンし、33名全員のケースプレゼントです。普段の例会ではプレゼン免除されております私もこの日には発表することにしています。そこでどんなことが行われたかはスタディー・グループでご覧下さい。終了後の参加者の一部のメールをご紹介しますので、ご想像下さい。

*壬生秀明先生からのメール。
3日間どうもありがとうございました。朝から寝るまでフル回転の先生がいちばんお疲れだと思いますが、体調はいかがでしょうか?
経過観察の重要性はかなり以前からお話していただいていたことですが、当初は時間がたてば自然に経過観察することになるのだから、特別なことではないように感じていました。しかし、自分の診療経過が3年、5年と過ぎていくと、行った治療のトラブルを目にするようになり、治療時の知識不足、見落とし、思い込み等にわずかですが気づくようになりました。
自分なりに結構考えたつもりだったことが、浅かったりすることに気づき、経過を観ることの大切さを感じるようになりました。また当初は先生にお見せいただいていた、長期経過のすごさがあまり分かっておりませんでしたが、開業して自分がさせていただいた治療がずいぶん長持ちしたように思っても、まだたった3、4年で、10年経過が600人、20年経過も200人という数字がとてつもないものだと感じるようになりました。7年前、開業するときに「早く開業して、経過を長く観なさい」とお話いただいたことを思い出しました。少しでも多くの方の長期経過を観ていけるように意識して取り組みたいと思います。
また昨日の先生のお話から、自分の行った治療がどうなるのかと考え、観ていくことこそ歯科臨床の面白さで、それが日々のモチベーションになると感じました。患者さんのためにも、自分のためにも経過観察する姿勢を忘れずにいきたいと思います。
貴重なお話をありがとうございました。今後もご指導のほどよろしくお願いいたします。(陰の声:優等生的な感想!!)

*高橋邦夫先生からのメール。
今年のサマーセミナーは、私にとって最高に有意義でした。多くの先生方の発表はとても感激しました。しかし、私が最も脳裏に焼きついたことは、28日の午前中に黒田先生の横に座った時でした。
救歯会の先生が発表している間、黒田先生は一人ひとりの内容を書きとめておられました。それも3色ボールペンを使ってです。その発表の要点を簡潔にまとめて書いておられる先生の横顔を見ながら、私は思いました。「黒田先生が我々の発表していることを一つ一つ書いて下さっている」「色分けや四角で囲んだりしながら、我々のケースプレの上達具合を一人ひとりについて確認して下さっている」日本で指折りの先生が、ここまでしてくださる。我々一人ひとりを真剣に見てくださっていることに「本当に感謝」いたします。27日の全員発表の時も同様に書かれているのが遠くからでも確認できました。
また、レーザーポインターも2個、用意されておりました。ご自身の発表の前に、天井にポインターを当てて、良くうつる方をお使いになりました。万一のポインターのトラブルにも即座に対応できるように2個用意するというその完璧な準備のよさ、なおかつ筆箱の中には予備の電池までも入っておりました。
次に驚いたのが時計です。腕時計を持っているにもかかわらず、時間のとても見やすい白に太い黒文字の携帯用の時計を準備されて御自身のケースプレ時にはパソコンの右側に置いてありました。同時に腕時計にも注目です。レーザーポインター同様に時計も2個用意するということだと思いますが、腕時計も文字盤が白く太く見やすい数字の物をわざわざ選んで持って来たのだと推測いたします。暗い中でも見やすいようにここまで配慮しておられる。私たちが普段気づかない所でも数々の配慮をしてくださっているのだと感動すると同時に感謝いたします。
これがそのままケースプレゼントのスライド一枚一枚にも表れているのだなと感じながら先生の経過観察のスライドを拝見させていただきました。写真一枚とっても、色・縮尺などをしっかり揃え、バックの色も周到な配慮をされています。すべてにわたって、ワンショット、ワンショットが「芸術」なんだなぁと感じました。私にとっては全員発表のケースプレの内容はもちろんですが、こうした「気づき」を与えてくださった黒田先生に最も感謝いたします。(陰の声:かなり褒めすぎ!!)

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臨床歯科を語る会、とても充実していました(2005年7月15日)

恒例の臨床歯科を語る会が7月1〜3日に開催されました。目黒区大橋のホテル「こまばエミナース」という初めての会場です。2泊3日の合宿形式の臨床学会です。新人発表あり、全体シンポジウム「インプラント植立本数への疑問」、分科会シンポジウム「パーシャルデンチャーの設計を考える」、「歯周病症例における審査資料の読み方」、「補綴物咬合面の材質」、特別講演会「歯根膜とセメント質」、それに「ランチョンミーティング」、「テーブルクリニック」あり、ほんとうに充実した2日間でした。詳細は臨床歯科を語る会でご覧下さい。こんなに良い臨床学会に参加しない方は、大損しています。来年は是非参加しましょうよ!

新人発表の10分前で、緊張の極みでした。手前から、澤田雅仁(月穂)、川瀬恵子(火曜会)、野村雄一(包括)、日高大二郎(救歯会)の4先生でしたが、みんなレベルが高く、内容が濃く、8分発表でしたが、見事な内容でした。それぞれのグループのレベルが高いことを示してくれました。来年発表の方へのプレッシャーが相当なものになりそうです。

午前中の2時間40分のシンポジウム「インプラント植立本数への疑問」は、インプラントの適応が広まる中で、最小限の侵襲で最大効果を上げるためのインプラントの適応を考えるという、新たな視点での挑戦的話題です。栃原秀紀(熊本)、西堀雅一(救歯会)、仲村裕之(火曜会)の3先生が登場です。座長は法花堂先生と松田先生です。

「心に残った方々」と題したランチョンミーティングでの金子一芳先生の講演は、重みのある歯科医人生論でした。1時間半があっという間でした。次回はこだわりの車や別荘を聞きたい!

多趣味で多才な村井雅彦先生のランチョンミーティングも、カジキマグロ釣りとスキーとスノーボードありのあっと言う間の1時間半でした。アンコール!!

分科会の座長を若手が見事に取り仕切っている。3時間弱が時間が足りないくらい充実していました。もっと、討論したかった。企画は壬生秀明先生(救歯会)、法花堂 治先生(救歯会)、熊谷真一先生(包括歯科)です。

「パーシャルデンチャーの設計を私はこう考える」と鈴木 尚先生と私の2人が話すことになりました。

テーブルクリニックで菅野博康先生(仙台)の咬合に関する実際編は顎咬合学会の重鎮の先生だけに熱心な聴衆も多かった。
下川公一先生(北九州)の「あの症例はいま」というのも、満杯の聴衆で先生の一流の話術とテクニックとビデオ映写(動画)があって、素晴らしい内容です。眞田浩一先生(はまゆう)の、恒例のプレゼンテクニックも人気抜群です。

最終日3時間の25周年企画「歯根膜とセメント質」は須貝昭弘実行委員長自ら「問題提起」を行い、井上 孝教授を特別講師に下地 勲(火曜会)の座長で、基礎学問がこんなにおもしろいと感じることは滅多にありません。企画が大当たりです。

乾杯の指名を受けた下川公一先生は、このところ欠席の多い宮地建夫先生(千代田区)を引っ張り出して挨拶をさせることに…。
臨床歯科を語る会の役者の多さには右に出るものはないと言えるでしょう。雑誌や講演で全国を回っている著明な先生に、若い歯科医が直に触れて語り合える場は、とても貴重です。25年前にドキドキしながら有名な先生に近寄った感動を私は今でも忘れることができません。この会に感謝しています。

二次会は地方名物の馬刺し、笹の葉寿司、銘酒などで12時を回っても盛り上がっていました。北川原健先生(長野市)の嬉しそうな表情から盛り上がりが分かります。つまみが美味しかった!!

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今年の歯科医師国家試験の結果が発表されました(2005年4月28日)

合格率が29校の平均で77,4%ですから、1/4は歯科医師になれなかったということになり、かなり厳しいことが分かります。良い大学から順に1位は広島大学、2位は大阪大学、3位は長崎大学、4位は東北大学、5位は新潟大学、6位は九州大学とここまで全部国立大学で、トップは93.9%です。私立大学のトップは愛知学院大(全国では7位)、2位に東京歯科大学(全国では9位)と並びます。我が母校の東京歯科大学は私立大学では2位ですが、全国では9位で、85.3%の合格率です。ワースト5校は全部私立大学で、25位に福岡歯科大学、26位に奥羽大学、27位に日本歯科大新潟、28位に神奈川歯科大、最下位の29位は松本歯科大で44.2%の合格率です。

「咬合」に関する話題がほんとうに少ない(2005年4月1日)

昨年救歯塾で1年間「咬合」のセミナーを行いました。素晴らしいレスポンスに感激しました。ところが、雑誌や書籍や講演会などでは全く取り上げていないことに憤りすら感じています。毎日の臨床が「咬合」抜きでされることは全くありません。なのにこの状態はどうしたことでしょうか。出版社の方に会うごとに「咬合」を取り上げてほしいと訴えていますが…。咬合の知識が曖昧なまま臨床が行われている実態を、救歯塾でシッカリと再認識することができました。その1例を以下に示しますが、この受講者はとてもまじめで勉強熱心な方です。その方ですら…と思ってください。みんなで「咬合」の勉強をしましょうよ。それが患者さんのためではないでしょうか?

受講者:上顎が無歯顎で下顎が643211234567残存の患者のゴシックアーチを採得いたしました。2年前に作製した上顎の旧義歯が割れて新製をするために採ったのです。ゴシックはきれいに書けていると思うのですがタッピングポイントが集束しているもののアペックスより1.2mmほど前方にきているのです。この場合咬合採得はタッピングポイントでするべきなのでしょうかそれともアペックスでするべきなのでしょうか?またアペックスにタッピングポイントを近づけるためにはどのような処置が必要なのでしょうか?
私:大変難しい質問です。結論から言うと、先生がどちらかに決定することです。
前方にあるタッピングは、ほとんどの方がそうで、前方咬合の癖が出ているからです。その癖が簡単に修正できないと思えば、タッピングポイントで咬合採得します。ただし、チェックバイトを取って、咬合器に顎運動のトランスファーをするのであれば、もう少し待って、アペックスで咬合採得すべきです。もう少し待って…というのは、側方チェックバイトを取るのは、アペックスからスタートする第二顎位なので、スタートが違ってしまえば、咬合器調節が違ってきます。
このようなことに疑問を持つことが勉強のスタートです。悩みながら臨床をすることが向上のポイントです。
受講者:貴重なアドバイスをありがとうございました。危うくタッピングポイントで側方チェックバイトを採るところでした。アペックスに対する第2顎位ということを完全に見落としておりました。本当に勉強不足ですね。わかったつもりでいたのがよくわかりました。今一度良く調べて、またいろいろ考えて決めたいと思います。
先日習ったことがすぐ実戦応用できるので本当に救歯塾に参加してよかったと思います。間接法も含めて救歯塾で体感したことが日々の臨床を楽しくしてもらっていると感じております。また来年も参加したいと思いますのでよろしくお願い致します。

「理想の死に方」に興味が湧きました(2005年2月17日)

2月7日にウチの愛猫を亡くしました。珍しく私にとてもなついていて、私が撫でると「ごろごろ」と喉を鳴らし、他の人では喉を鳴らさないので、家内から羨ましがられておりました。
腎臓を患っておりまして、もう治らないし、1週間点滴を続けましたが、辛そうなので安楽死を選びました。とても安らかに眠っているように昇天しました。自分もこのように逝きたいナーと思いました。そう思っているのは私だけではないようで、理想的な死に方はないかと求めている方が意外に多いことを知らされました。
文藝春秋・新年特別号に「理想の死に方--各界著名人58名が望む」にその詳細が出ています。楽に死ねる方法はないものかと悩んでいる自分が情けない…。還暦を過ぎたらいつ逝ってもいいと思いながら、その心構えができているかというと、いささか情けない自分です。どなたかご助言をいただけませんでしょうか?
ただ、「今日という日を大切に」「この景色にはもう出会えないかも」「いま元気でいることに大感謝」という気持ちだけは持っています。

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★黒田昌彦のひとりごと(2004年)

講演後に嬉しいメールをいただきました(2004年10月4日)

9月26日に東京歯科大学同窓会主催の講演を文京シビックホールで行いました。「経過観察と個別対応」のタイトルです。嬉しいメールをいただきましたのでお知らせします(ご本人から了解をいただいて掲載します)。

「昨日は貴重なご講演を拝聴させていただきありがとうございました。息をつく間もなく、あっという間の2時間でいつにもまして迫力のあるご講演で感動いたしました。周りを見渡しても、下を向いている人は誰もいませんでした。一緒に聴かせていただきました衛生士は、黒田先生の講演の後に「先生、私たちも勉強しなくてはいけませんね」などと言っていました。
昨年のサマーセミナーの討論で出させていただいた74歳のすれ違い咬合の患者さんが、ちょうど前日に義歯が痛むということでお見えになりました。3ヶ月ほどの間にすっかり衰えていらして、衛生士とその変わりように驚いていました。先生のご講演を聞かせて頂き、往診に行ってみようという気持ちが固まりました。今度患者さんが見えた時には「安心してください、伺いますよ」とお話したいと思います。
開業してようやく6年が過ぎましたが、20年の経過観察は途方にくれてしまいます。1年目、2年目にはその重みにあまりピンときませんでしたが、リコールを重ねた患者さんの記録を見るとやっと4年、5年といったところで、この5倍もの期間をお付き合いできるのか、改めて先生のすごさを感じました。
臨床歯科もサマーセミナーも終わって中だるみしていましたが、先生の歯科にかける情熱を感じがんばろうという気持ちにさせていただきました。どうもありがとうございました。」
(壬生 秀明先生)

当初は、自分の処置がその後どうなるかと心配なので経過観察をしていました。5年、10年、15年と経過観察しているうちに、それは「患者さんとのかかわりを長く持っていくことなのだ」そして、メインテナンスしていることになるので、自分のために始めた経過観察が実は「患者さんのためになっている」という実感をもてるようになりました。
患者さんが続けて来院してくれているということは、「患者さんが満足してくれている」ことの証ではないかと思うようになりました。20年以上のかかわりを持てた患者さんの例を中心にお話させていただきました。私の話したい内容を、これほどまでにシッカリと理解して聞いて下さった壬生秀明先生の感想が、とても嬉しく思いました。

歯科医師連盟の1億円献金について(2004年9月26日)

歯科医師連盟が自民党議員の橋本龍太郎元総理に1億円の献金をしたのに、当の橋本議員は記憶にないと言う。記憶にないというのはどうもウソらしく、橋本議員は自民党を離党する羽目になった。我々歯科医師会の会員の貴重な資金を、「記憶がない」というような議員に献金したということに腹が立つし、元総理ですらこのような醜態をさらすことに、どうにも押さえようのない怒りがこみ上げてきます。
中医協委員への贈賄もとんでもないことをしてくれたという気持ちがまだ収まらないうちに、立て続けに報道される歯科医師会の無様な行動の報道に、どう表現して良いものか悩み続けているうちにこのホームページの更新がストップしてしまいました。新聞報道からとても信じられないことだったので、私の知り合いの代議員に問いただしてみたら、元日本歯科医師会会長が選出される前の運動として代議員に金品を贈っている事実が分かりました。それが一部の代議員にだけではなくて、すべての代議員に贈られていることを聞き、驚きと同時にあきれ果てました。その代議員によって選出された元会長が贈賄の罪で逮捕されているのですから、選出した代議員に責任はないのでしょうか?
良心のある代議員の数名は辞表を提出したのですが、大多数の代議員はそのまま居座っています。新会長はじめ新執行部はほとんどこれらの代議員から選出されています。混乱を避けるための一時的な執行部ならそれも致し方ないと思いますが、もうすでに新執行部が生まれて6ヶ月が経っています。信用を失ってしまったものが元通りになるのは大変なことです。それこそ半端なものでは済まないはずです。新生日本歯科医師会へ向けての努力は認めますが、国民を納得させられる改革にはなっていないと思うのは私だけでしょうか。という私は、日本歯科医師会の雑誌編集委員に再び任命され、承諾すべきかどうかを迷いましたが、私は胸を張って会員のための雑誌作りをしているという自負があるかぎり、委員を承諾することにしました。このような記事を書くことで、委員を辞めさせられるような雰囲気を感じましたら、あっさりと辞任します。
私は代議員の全員が辞任し、新たな代議員で会長選出をどうするかも含めて公開議論を進めるなかから、ほんとうの新しい日本歯科医師会の執行部が誕生する日を待っています。なるべく早く…。

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臨床歯科を語る会が終わりました(2004年7月4日)

7月2日夜より年1回の臨床歯科を語る会が開催されました。今年で24年になりますから、ずいぶんと長く続けられたものだと思います。初回からのオリジナルメンバーはさすがに少なくなりまして5名ほどでしょうか。参加者数も今年はやや減少して、160名余です。古手が減って、若い方が増えてきたことは喜ばしいことですが、この会の趣旨が理解されていないのではないかと眉を寄せたくなる局面が散見されました。元々は全国のスタディー・グループの集合体だったのですが、スタディー・グループに属さない方も参加できるようになりました。しかし参加するからには、「症例写真とX線写真を持参して参加する」という原則は今でも生きているはずです。ところが何も持参せず、まるで講演会に参加するみたいに、演者の話を一方的に聞くだけの参加者が多く見られたので寂しい気がしました。この会は「語る会」です。自分の意見や症例を持ってきて語り合うことに意味のある会です。自分の意見が持てないなら質問でも良いのです。ただ話を聞きに来るなら、有料のセミナーへ参加して下さい、と申し上げたい。講演会では十分に話し合えないとお感じの方、臨床ってもっともっと悩みが多いよねー、と感じておられる方を大歓迎します。内容を知りたい方はリンクからホームページをご覧下さい。

臨床研修医のレベルに驚きました(2004年5月28日)

東京医科歯科大学臨床研修医セミナーに呼ばれて講演してきました。臨床研修医の1年目と2年目の方120余名の方々でした。医科歯科大学卒の方は2割程度で、他大学出身の方が多いのも驚きました。それだけ人気があるということなのでしょう。2年次になると臨床ケースプレができるようで、ほぼ全員が症例写真をとってパソコンに入れているのです。それがCDに保存されていましたので、終わってから見せていただいたのですが、それはもう驚きでした。研修医の教育を中心になってやられている新田助教授の、熱の入れようもすごいのでそうなったのでしょうが、すばらしいことだと感銘を受けました。今後の成長ぶりが大いに期待されます。

ジーシーセミナーに1000人を超える参加者(2004年5月23日)

東京臨床講座に1000人を超える参加者を見たのは初めてです。プランナー金子一芳先生の魅力なのか、講師の先生方の魅力なのか分かりませんが、私はその両者というように感じています。講師は、下地 勲先生、千葉英史先生、永田省三先生の3名でした。下地先生は自家歯牙移植の第一人者です。その先生が最近はインプラントも手がけているというから、これまた魅力です。千葉先生は臨床の緻密さでは右に出るものがないという方ですし、とりわけ歯周治療については見事です。デンタルX線写真では超一流です。永田先生は欠損補綴への取り組みで、いつも斬新な視点とアイデアが見物です。インプラントについても造詣が深いのが魅力です。
タイトルは「私たちが大切にしているもの」で、このタイトルでこれだけ大勢の方が集まったとはとても思えません。この大物3名を取り上げたこともすごいことですが、みんな一癖ありそうな講師陣を選んだプランナーが一番の魅力だと思います。裏話ですが、タイトルを「地味臨床のすすめ」にしよう(千葉先生談)ということだったのですが、このタイトルだって1000人以上集まったと思います。だって今回は、タイトルではありませんから…。
さすがに内容も息をつかせる間もないほど、テンポが速く、内容が濃密で、新鮮な話題にあふれ、あっという間の一日講演でした。休憩にも退場する方もなく、最後まで満タンでした。聞けなかった方は、本当に損をしたナーと思います。
永田先生以外は皆さん火曜会の方で、「火曜会元気だナー」という実感しきりでした。そうそう、参加者の中に札幌の松井みどり先生や盛岡の藤村三良先生など、遠方からの参加者もおられて、だから1000人以上なんだーと驚いたり納得したりでした。ジーシーさん、またこのようなセミナー企画して下さい。

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日本歯科医師会事件の新聞報道について(2004年4月20日)

歯科医の診療報酬改訂を巡る汚職事件について、新聞やテレビなどの取り上げ方について不快感を覚えます。歯科のかかりつけ初診料がいかにも違法に高額な初診料だという印象を持たせるような報道です。それまでの歯科の初診料が¥1,850だったものが、¥2,700円に不当に上げられたというのです。これはとんでもない誤解です。10年以上前から、医科の初診料が¥2,700で歯科の初診料¥1,850と大きく差がつけられていたものを同等にしただけなのです。私たち歯科医は、B型肝炎やC型肝炎やエイズなどの患者さんが来院されるとその感染の危険が高くて心配です。
歯科の患者さんに対しては、口の中で出血や唾液にふれずに治療することはほとんどありません。精神科や内科の診察では、血液や唾液にふれずに治療することは多くあるのに、初診料は¥2,700円なのです。再診料については今も、医科は¥700なのに、歯科は¥380です。患者さん一人一人に感染させないように、診査用具を滅菌消毒し、うがいのコップやエプロンなどを使い捨てにしたりして配慮をしています。それを¥380でやれというのはあまりにも不合理だと訴えてきたことです。患者さんの立場なら、安心してかかれるように、器具は十分に滅菌消毒されたものを使って欲しいでしょうし、他の患者さんが使ったコップやエプロンなど使って欲しくないと思います。それなのに、全くそのような報道がされずに、贈賄という点だけ強調されるのはきわめて不快です。国民の皆さんはどうお感じでしょうか?

江戸東京博物館で感動しました(2004年4月4日)

見るまでは大したことがないのではないかと思っていました。ガイドの方がいなければ只の大きな箱です。ガイドの方に説明を聞いていくうちに、これはすごいものだと感じました。ボランティアのガイドの方がすばらしいので、ぜひ一度おたずね下さい。厚かましく思われてもかまわずにガイドの方を頼んで下さい。私たち2人にガイドの方がついて下さったので、それはもう贅沢な解説が聞けました。江戸時代の町を模型で小さいながらも実物そっくりに作ってありますし、江戸から東京になってからの変遷が見事に感じ取れます。月ごとに催し物も変わります。休日の早めの時間帯にお出かけするのがコツです。

困った新聞記事とサイト紹介(2004年3月15日)

「非金属で自然な入歯」というタイトルで産経新聞2月25日に紹介された記事に疑問を感じます。金属のバネの代わりにプラスチック系の特殊なナイロンを使用し、素材に透明感があるので入歯が目立たず変色もなく、「フレキシブルデンチャー」という。欧米ではすでに50年以上の実績があるという。私は入れ歯専門学会の認定医と指導医ですが、このような「フレキシブルデンチャー」を知りません(勉強不足なのでしょう)。
私は今年の日本補綴歯科学会雑誌2月号にフレキシブルな義歯から「リジットサポート」の義歯(より動かない義歯)を推奨する立場での依頼原稿を掲載したところです。フレキシブルな入れ歯はいくつかの問題点からすでに25年前から否定されています。金属のバネを用いた義歯のなかでも、より義歯の動きを少なくするものへと変わってきています。新聞に掲載されている写真で見る限りでは、とてもお薦めできる義歯とは思えません。
この会社は、困っている方にインターネットか電話で優良歯科医院の紹介サービスを行っているらしい。そのことは素晴らしいことなので、ほんとうに優良歯科医師ならばどんどん紹介を進めて頂きたい。「アイボリーネットサービス」(東京都渋谷区、須藤哲生社長)のホームページ(http://www.ivory8.com)を見てみても、フレキシブルデンチャーの学問的内容を知ることができません。学会発表されたり学会で承認されていない義歯が全国紙の新聞に掲載されるということが許されていいのでしょうか。論争したり議論を戦わせることのできないもどかしさに憤りを覚えます。私の不勉強さをたしなめて下さる情報がありましたら、ぜひ教えて下さるようにお願い致します。

新年あけましておめでとうございます(2004年1月4日)

今年はヨーロッパのスキー場で新年を迎えました。世界最大のスキーエリア、フランスのトロアバレーエリアの中心MERIBELというスキー場です.トロアバレーはその名の通りクーシュベル、メリベル、バルトランスの「3つの谷」からできています。メリベルはその中央・心臓部に位置し、どの谷を滑るにも自由自在です。リフトの長さ、ゴンドラの数、幅の広さ、ガイドなしではとても全体像がつかめませんでした。6人や8人乗りの高速リフトが多く、キャビンも6名や8名乗り、2キロ以上もあるTバーリフト、230名乗りのゴンドラまであって、まさに度肝を抜かれるビッグなスキーエリアでした。メリベルだけでも、キャビン数が世界最多の16基。メリベルには8つの山頂があり、そのどこからもモンブラン(2952m)が望めます。
肝心のスキーはと言えば、雪が少ないことが難点でした。オフピステの方がゲレンデの何倍も広いので、雪さえ多ければ最高なのに…。それでも、滞在中29日は50cm、2日は30cmの新雪が降った上を滑ることができました。宿はメリベル市街(1450)よりやや高いモタレー(MOTTARE) (1750)の少し上で、ゲレンデのそばで玄関からスキーで滑って降りてスキーセンターへ行けるアクセスの良いホテルでした。とても言葉では言い尽くせませんし、写真でも表現し尽くせません。良い写真が見つかりましたらご覧に入れましょう。
スキー人口の多さと、その設備の良さ、楽しく快適にすごさせてくれる雰囲気は、どうしてこうも日本と違うのだろうと考えさせられました。ゲレンデ設備といい、景色の良いコース設計といい、喫茶やレストランのデザインや食事内容やインテリアまで、つい長居をしてしまいます。

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★黒田昌彦のひとりごと(2003年)

やっとリニューアルできました(2003年12月26日)

私はMacintoshを使っていますが、OS-Xに全面的に乗り換えるのに手間取りました。このホームページ作成用のソフトがなかなか大変でした。バージョンアップがうまくいかないのと、ソフトになれるのが大変でした。
ソフトのDreamweaver がMXにバージョンアップされ入手したのが12月5日でした。それからの対応がまた大変でしたが、このソフトはきわめて良くできていて、すこぶる満足しています。まだ荒削りですが、次第に良くしていく予定ですからお見苦しい点は今しばらくお許し下さい。
この1年間未熟なホームページにおつき合い下さいましてありがとうございます。これが今年の最後になります。来年も是非お寄り下さい。ちなみに、冬休みはヨーロッパへスキーに行って来ます。場所はフランスのメリベルです。初めていく場所なので不安がいっぱいですが、良い状態であればこの場でご報告させて頂きます。ご期待下さい。では皆さん、良いお年をお迎え下さい。

OS9.2にようやくお別れ出来ました(2004年12月26日)

この1年間OS9.2とOS-Xとの併用でしたが、ようやく10.2へ100%移行しました。移行できにくかったのは、プリンターが問題でした。エプソンを使っていたのですが、850や870では写真プリントの縁なしプリントがうまくいきませんでした。G900 になってからはすべて順調です。次のネックは、LAN(有線、無線)接続です。これは今でも100%満足していません。次のハードルは、メールソフトでした。昔からクラリスメールを使っていたのですが、これをOS-X 純正に切り替えようとするのに手間取りました。アドレスを全部手書きで移すのですから、それはもう大変な作業でした。今ではようやくOS 9.2をすべて廃棄してすっきりしました。
結局、今まで使い慣れたソフトを変えていくという作業が、年齢を重ねていくにつれ難しいと感じることです。ワープロだって漢字変換ソフトも変わりますし、辞書の引き継ぎをすることや、フォーマットが変わることなど、煩雑なことばかりです。ようやく慣れた頃に、OS10.3に変わるのですから、また困ったモノです。10.2に慣れていれば少しは良いかと思いますが、いろいろの設定をまたいじるとなると、本当に面倒くさいです。まだ10.3には移行しません。

診療報酬またも引き下げ(2003年11月29日)

16年4月に医療費が改定されます。例年、物価上昇に比例して医療費の改定が行われて!きました。ところが14年4月、史上初めて2.7%のマイナス改訂が行われました。来年はさらに4〜5%のマイナス改訂が行われようとしております。 15年4月に医療費の窓口負担額が3割に引き上げられました。このように毎年マイナスになる医療費なのに、家賃や物価や人件費などが下がらないのはどうすればいいのでしょうか?

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医療事故がなぜ多い?(2003年11月29日)

このところ新聞やテレビで、医療事故の報告がやたら目につきます。慈恵医大青戸病院の腹腔鏡手術ミス(10月21日発表)、東京医大病院の左右の耳 間違え切開(11月20日発表)、京都大病院の手術で大動脈損傷による死亡(11月20日発表)、などと続いています。「明日は我が身」と気を引き締めていますが、最近思い当たることがあります。この2〜3年間に採用した3名の歯科衛生士にとても不安を覚えることが頻発しました。 注意力不足、忘れ物が多い、物をよく落とす、返事がない…などの問題があって、最近の若者においては仕方のないことなのかと諦めなければと思う気持ちもあったのですが、医療ミスを起こされることが怖くて辞めてもらうことにしました。
その後、衛生士不足で非常に困りましたが、医療ミスがあるよりこの方がましだと思いながらじっと我慢をしました。ようやくいい衛生士が来てくれました。とても慎重で安心できる方です。21歳の若さですが、年齢ではなく、やはり性格だと思うのです。今の時代でも、しっかりした衛生士がいるのだと思い直しました。待っていて良かった、としみじみ思います。

厚労省の厳しい対処に疑問(2003年11月29日)

慈恵医大青戸病院で起きた前立腺癌の腹腔鏡手術ミスはいくつかの新たな問題を提起しました(10月21日坂口厚生労働相の記者会見)。 刑事事件の有罪判決確定までには時間がかかりすぎるので、刑の確定前でも行政処分(医師免許の取り消し、医業停止)ができるようにするという。 厚労省は「刑事罰確定前や民事裁判のケース、ミスを繰り返す医者も、行政処分の対象となる」と厳しい対処法を打ち出しています。これでは医療ミスが減るとは思えないし、問題の本質に迫る解決策ではないと思うのですが…。

若年層に広がるB型肝炎(2003年11月29日)

日赤の献血血液検査で、B型肝炎ウイルス感染が10〜30歳代に広がっていることが分かった(10月26日の産経新聞)。 B型肝炎ウイルス感染は、輸血や注射針の使い回しが原因と昔は言われていたが、近年は、輸血はしっかりチェックされ、注射針はディスポになり、それらの感染は考えにくい。それでも増加しているのは、もっぱら性的交渉によるものと考えられる。注意されたい。

齲蝕は歯科医師の責任(2003年10月25日)

「虫歯になったのは,矯正治療中に歯科医が適切な歯磨き指導をしなかったため」という判決が出て、世田谷区の女性(24歳)が新宿区の歯科医に55万円の支払いを命じた(東京歯科保険医新聞03.9.11)。この場合は,矯正治療中のことですが,齲蝕の治療や歯周炎の治療でも,ブラッシング指導をきちんとしていないと同様の判断がされそうです。今どき歯ブラシ指導のない歯科医なんているはずがない…と思っていたら、今月の新患の方お二人とも「歯ブラシ指導がない」という。そんな歯科医院は潰れてしまえ!

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ピカソ・クラシック展良かった(2003年10月11日)

ピカソが好きでパリやバロセロナでもピカソ美術館を訪ねました。ピカソといえばあの有名なキュービズムの絵ですが、今回のピカソ・クラシック展はキュービズムに到達する前までの作品が展示されています。ピカソは「破壊と変貌の巨人」といわれる所以が、この時をスタートとしているのが感じ取れます。初めての妻「踊り子オルガ」そして長男パウロの誕生が、天才ピカソをどのように変貌させていったかが窺うことができます。上野の森美術館で12月14日まで。

白川義員写 真展に感激(2003年8月3日)

山岳写真家として世界的に著明な白川氏の写真展は、越後湯沢の常設写真館でも何度か見ておりましたが,今回は「世界百名山」と銘打ってそれは圧巻としかいいようのない内容でした。どれもがあの独特の迫力のある見るものに迫ってきて何かを訴えている写真は、すばらしいものです。今回は運良く白川氏による作品解説に巡り会いまして、熱き想いと撮影裏話を約1時間にわたってお聞きできたことがより感動させるものでした。
東京都写真美術館(恵比寿ガーデンプレイス内)にて、2003年7月29日〜9月3日。
日曜日の14:00〜作品解説あり。

トルコ三大文明展すばらしい(2003年8月3日)

このところ美術館巡りをしていますが、良いものばかりです。トルコは昔から日本と非常に親しい関係にあるのに、私のように日本人はあまりトルコのことを知らないようです。NHKスペシャル番組で取り上げてくれたことがきっかけでこのトルコ展に行きたくなりました。紀元前2000年のヒッタイト帝国、紀元前700年のビザンツ帝国、それに15世紀から19世紀までの400年のオスマン帝国という、3大文明の流れと関連性を見てきました。なんといっても、オスマン帝国の宝飾技術の最高傑作で巨大なエメラルドが3個飾られた「トプカプの短剣」は圧巻です。今回日本初公開です。8月2日〜9月28日、東京都美術館(上野公園内)。

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マリー・ローランサン回顧展に感動(2003年7月21日)

マリー・ローランサンにはもともと興味を持っていましたし、長野県茅野市のマリーローランサン美術館には2度ほど足を運んでいましたが、この回顧展は圧巻です。世界中の美術館や個人所蔵から集めたものが一堂に会した展覧会は見応えのあるものばかりでした。もちろん初めて目にするものが半数以上でした。その上、会場の旧朝香の宮邸が見られるのも、感動ものです。建物のすばらしさ、手すりやドアーのデザイン、壁や窓や天井やシャンデリアなど…絵画とともに鑑賞できる喜びは久しぶりでした。入館料の¥1,200は決して高くないと思いました。
7月19日〜9月15日、東京都庭園美術館 港区白金台5-21-9 Tel:03-3443-8500
JR目黒駅歩分、三田線白金台駅歩6分。

足立美術館に感激(2003年7月13日)

日本歯科医師会セミナーの講師として島根県松江に行きました。その時に勧められて「足立美術館」に行きました。横山大観の絵画が世界で一番蒐集されていると言います。
松江市には近くにいくつかの美術館があり、県立美術館も新しいのですが、わざわざタクシーで40分の安来節で有名な安来市まで出かけ、入館料¥2,200は高いと思って少し迷ったのですが、行って良かったと思いました。
大概の美術館は1時間もいると飽きるのですが、あっと思って時計を見たら1時間半でした。美術館が日本庭園のなかにあって、廊下を渡りながら庭園を見ながら絵の鑑賞ができるようになっていて、その設計といいデザインといい、ニクイくらいです。あいにく雨の天気でしたが、庭石が深い輝きを増して格別でした。春夏秋冬どの時期にも素晴らしさを演出するようになっていると言います。機会がありましたら是非お見逃しなく訪れてください。

2003年救歯塾への反響がうれしい(2003年5月31日)

今年の救歯塾は3年目になりますが、リピーターと新たな受講者とがほぼ半分ずつです。リピーターへの特別配慮をしたおかげで、受講者の方々の満足度が高く、こちらも喜んでいます。
そしてどうすれば喜んでもらえるかが実感してきました。受講者からのメールを「セミナー案内」のところで紹介しておきますのでご覧下さい。

2003年救歯塾がスタートしました(2003年5月12日)

去る4月20日より今年の救歯塾が始まりました。参加人数が少ないのではないかと随分と心配しましたが、結局40名の方が申し込まれました。リピーターが約半数で、新規参加者が20名を越えています。また準備に追われて、うれしい悲鳴です。昨年の希望を入れて、私の症例を多くお見せするようにしてみました。反響がよくて、「一日中緊張しっぱなしで、終わったらどっと疲れが出て、ヘトヘトです」といううれしいメールが届きました。

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★黒田昌彦のひとりごと(2002年)

歯科医院の1日あたりの患者数の推移(2002年11月4日)

年度1日の患者数 
1981年32.3
1983年31.3
1984年25.1
1990年24.8
1993年22.5
1996年21.9
1999年 17.6

厚生労働省「患者調査」による1歯科医院の1日あたりの患者数の推移です。この表によりますと、83年から84年、96年から99年の間に急激に減少しています。前者は社会保険の本人の自己負担額が0割から1割に、後者は同じように負担額が1割から2割にアップされた時期と一致しています。2003年4月から負担額が2割から3割にアップされます。
この20年間に患者数が半減したのに、さらにそれ以上に減ることになります。私が歯科医になった頃は、患者さんが多すぎて満足な治療が出来なかったことが悩みでした。それが最近は、患者数が少なくて、適正なスタッフ採用と設備投資ができないという状況になりました。これからは歯科医の適正な数、適正な治療、などの検討が急務です。

平均寿命の年次推移(日歯広報9月25日号)(2002年10月23日)

暦年男性平均年齢 女性平均年齢 
昭和22年 50.06歳53.96歳
昭和30年63.60歳67.75歳
昭和40年67.74歳72.92歳
昭和50年71.73歳76.89歳
昭和60年74.78歳80.48歳
平成2年75.92歳81.90歳
平成9年77.19歳83.82歳
平成10年77.16歳84.01歳
平成11年77.10歳83.99歳
平成12年77.72歳84.60歳
平成13年78.07歳84.93歳

私が子供の頃、父親がよく言っておりました。

人生50歳までだ、やれるうちにやらなければ・・・
還暦というのは、双六の振り出しに戻ることだ・・と。

私は還暦を迎えたのに、振り出しだなんて思えません。
私は未熟なせいなのでしょうか?

ホームページの更新が遅いというお叱りを頂きました(2002年9月15日)

この1ヶ月、目の回るような多忙な日々を送っておりました。8月30日から2泊3日で救歯会サマーセミナーがあり、1年に1回の特別講演をしました。1時間半のパソコンプレゼンです。
その3日後、9月4日に社保指導者研修会で1時間半のスライドプレゼンをしました。その3日後、9月7日は臨床歯科を語る会の実行委員会があり、決算報告と次期執行にあたっての要望事項を資料付きで提出してきました。次の日、9月8日が救歯塾で、パソコンプレゼン20分をしました。言い訳ではありませんが、ほんとうに目が回りそうでした。
それらの準備と片づけが大変です。机の上がスライドと資料でごった返しております。これからその整理に追われます。ご想像下さい。そして、どうかお許し下さい。

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NHKスペシャルを見て怒りがこみ上げてきました(2002年8月14日)

「幻の大戦果・大本営発表の真相」(8月13日総合テレビ)、「海上自衛隊はこうして生まれた」(8月14日総合テレビ)を見て、どうにもやり場のない怒りがこみ上げてきました。
昭和19年沖縄決戦の前後の大本営発表のウソが、どのようにして行われたか、そこに日本中枢の組織的構造があったということを知らされました。そのことは、現在の日本の政治そのものの姿にシッカリと引き継がれているではないですか。鈴木宗男議員と外務省との癒着、日本ハムと農林通産省とのなれ合い、など・・・腐敗している日本の政治そのものは、55年前からちっとも変わっていないんだという気がしました。
海上自衛隊は、再軍備という名の下に軍隊として生まれてきたといういきさつを、機密文書によって暴いていました。日本国憲法の第9条(軍隊を持たない)に対する憲法違反を、政府が実施してきたことに、この怒りを何処にもっていったらいいものなのか分かりません。皆さんはどのように感じますか。

「医療法改正案」だけがなぜ通過する?(2002年8月14日)

本年4月の医療費改定で社会保険本人1割負担が2割負担にアップし、この10月から70歳以上の定額負担が1割負担にアップ、来年4月から社会保険本人は2割から3割負担にアップします。サラリーマンは窓口負担だけでなく、保険料も重くなります。そして5年後(06年10月)には、老人保険は75歳以上ということになります。
これほどまでに国民に負担を強いる医療費改革なのに、どうしてこうも矢継ぎ早に可決決定されるのでしょうか。郵政民営化、高速道路民営化、外務省改革などは、一体いつになったら可決決定されるのでしょうか。国民の税金を無駄遣いしていることにはいっこうにメスが入らず、国民に痛みを感じる方にはすぐ改革が決定されるという今の議会に、国民は憤りを感じないのでしょうか。このことが不思議でなりません。

日歯広報の「声」蘭(7月15日号)に共感(2002年8月14日)

兵庫県会員の藤原 知(70)先生の「会員のひろば」投稿に共感しました。藤原先生は「日歯の労に感謝しつつ…(略)、私はこの度「日歯連盟」からの離脱を表明、承認された。連盟の在りように常々疑問を感じてきた私は、ロビー活動の必要性は認めるものの、今の在りようにはついていけない、むしろついて行くべきではないと自ら断じたのである。(後略)。民主国家日本における知識人集団としての"志"ある行動を模索、構築するべき刻にあるのではにか」と、率直に今の心境を述べられています。
政治家任せの体質、人任せの医療政策、批評はするが自ら行動しない体質、などが問われているのではないでしょうか。

2002年臨床歯科を語る会が盛会に終わる(2002年7月7日)

今年の新企画として「テーブルクリニック」が4題登場しました。「アンテリアージグ」を永田省蔵先生(熊本KDM)、「パソコンの画像処理」をはまゆう会の真田先生、「歯周外科の実践ヒント」を松井宏栄先生(火曜会)、「半調節性咬合器の活かした使い方」を救歯会の法花堂、野嶋、亀井先生がやってくれました。いずれも大変好評でした。
今年はその上、初めての「ポスター発表」が8題行われました。「スライドなら早送りができるのに、ポスターは何度も最初から見直しされるので、辛いものがあります」と発表者の本音の言葉が出るほど、参加者が食い入るように見ていました。「テーブルクリニック」と「ポスター発表」は来年も是非やりたい企画です。

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2002年臨床歯科を語る会の準備で大わらわ(2002年6月23日)

6月28日〜30日、国立オリンピック記念青少年綜合センターで開催されます。2泊3日の全国臨床家の合宿学会です。今年は230名ほどの出席です。プログラムの印刷、ネームプレートの準備、コンベンションとの打ち合わせ、テーブルクリニックの設営準備、宿泊部屋割り、食事や懇親会の準備、などと細々したことが結構あるものです。
実行委員長も4年になります。次期こそは辞任させてもらおうと思っています。実行委員長といっても、雑用や番頭役といった仕事です。それでも、毎年内容が充実していたり、遠路参加した方が喜んでくれたりしますと、またやろうかとつい思ってしまう人の良さがあります。2001年の「事後抄録」が思いのほか好評で、会員以外の方々が170人も買って下さいました。その方々から入会のお申し込みがないのがやや寂しい気がします。是非入会して下さい。さー、明日からまた頑張ろうーっと。

医療制度関連法案、衆院通過(2002年6月23日)

サラリーマンの医療費窓口負担を来年4月から3割(97年から2割)に引き上げることなどを21日の衆院本会議で可決されました。サラリーマンの保険料も現在の月収ベースからボーナスを含めた年収ベースの「総報酬制」になります。政府管掌健保に加入している中小企業のサラリーマンも保険料が引き上げられます。さらに、70歳以上のお年寄りは、今年10月から一定上限額(定額制)が廃止され、1割(一定所得以上の人は2割)負担になります。こんなに大変な事を与党単独採決のような暴挙で決められているのに、国民の皆さんは大して反対もしないのでしょうか?不思議でなりません。
有事法案や郵政民営化法案などが先送りされていて、国民の懐をもろに痛めつける法案だけが今年の4月から実施され、そのうえ来年4月からもさらに痛めつけられるというのに、平気なのでしょうか。身近な顔見知りの歯科医が2軒歯科医院を閉じました。われわれの悲鳴が聞こえていないのが寂しいです。

6/19朝日新聞「医療の質に影響じわり」(2002年6月23日)

「4月からの診療報酬大幅引き下げで医療現場に動揺が広がっている。収入減で経営難も起きている。コストをかけ、きちんとした診療をする病院ほど経営が難しくなる」と、具体的に診療報酬の引き下げ例を挙げて解説している。でも、この医療者側の痛みは、なかなか分かってもらえないように思えます。いま国会で審議中の自己負担が2割から3割に増えることに関しても、国民から不満の声すら聞こえないのです。われわれが医療費改定に反対しても、自己負担比率の増大に反対しても、国民は冷ややかに見ているだけという感じです。

歯科医師国家試験結果順位表(2002年6月2日)

今年の国家試験の結果が公表されました。平均88.6%の合格率でした。トップが長崎大学、2位は広島大学、3位は東京歯科大学、4位は東北大学、5位は北海道医療大学、6位新潟大学、7位は愛知学院大学、8位は大阪大学、9位は日本大学歯学部、10位は東京医科歯科大学で、ベストテンに私立大学が4校入っています。
ワーストファイブの25位は岩手医科大学、26位は大阪歯科大学、27位は明海大学歯学部、28位は松本歯科大学、29位は奥羽大学でした。昨年国家試験問題の漏洩事件を起こした奥羽大学は、今年は最下位でした。私の母校の東京歯科大学は96.9%で、私立大学のトップでした。今年の国家試験から試験問題が変更され、臨床問題を多くして、合格ラインを60点から80点にアップしました。平成16年から実習が加わった国家試験に変わっていくので、ますます難しくなるでしょう。知識だけは備わっているけど、何もできない歯科医や、腕のない歯科医が増えることを心配していたので、大変いい傾向だと思っています。

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医療費削減策がダブルパンチで(2002年4月21日)

企業の健康保険組合の支出抑制を助言するサービスを、日本生命保険と日立製作所などが始めるという。ライフケアパートナーズ(日本生命、日立、ニチイ学館など)や、ウェルネスケア・ネートワーク(明治生命、NTTデータ、松下電器産業など)が、診療報酬明細書(レセプト)を分析・指導し、健保組合の医療費支出の傾向を分析するサービスを始める(日経新聞3月15日)。
さらには、組合による診療報酬明細書の直接診査を今月中に解禁すると厚生労働省が決めた(朝日新聞4月13日夕刊)。今までは「社会保険診療報酬支払基金」で内容のチェックをしていたし、そこでは専門家によるチェックなので、ある程度信頼がおけるチェックでしたが、これからはどうなるのか不安があります。全国1700の健保組合のうち、赤字組合が9割を越えるという。10年程前までは、本人は初診料の一部負担だけでよかったし、組合も保養所を持てるほどでしたが、どうしたことなのでしょうか。バブルがはじけ、少子高齢化社会がそうしたのでしょうか。無慮無策の政策のせいではないでしょうか。老人保険制度ですら、始めてから数年で破綻したのですから。政治家と官僚の責任が大きいと思います。そのツケを、自分たちは何ら負わずして、患者さん(国民)と医療者に押しつける有様で、さらには組合までにもしわ寄せがいっています。

「歯周病退治うがい薬で」に関するその後の反響(2002年4月21日)

先に「歯周病退治うがい薬で」に関する感想を、2001年11月20日と2002年2月17日に書いておきましたが、今回「暮らしの手帳」2002年4・5月号にまたもや関連記事が掲載されております。「音波歯ブラシ」の商品テストレポートに続いて、石川 烈先生(日本歯周病学会理事長、東京医科歯科大学教授)の「歯周病治療に抗かび剤は危険」というタイトルで書かれています。ここに書かれている内容は、十分に納得できる客観性に富んだ論評です。私は個人的に、「暮らしの手帳」という雑誌がとても好きで、広告がないことから商品テストに忌憚のない結果をそのまま掲載できる姿勢が、信憑性が高いと思っています。出版界でのこの厳しい時勢に、広告宣伝料を頂かずに雑誌を出版するのは、至難の業です。よく頑張っていると尊敬すると同時に、これほど信頼できる記事は他にないと思うのです。是非「暮らしの手帳」を買ってお読み下さい。「音波歯ブラシ」は私も使っていますので、その記事にも興味があります。

歯科医院の倒産状況(2002年4月8日)

平成8年から5年間の倒産件数を調査した結果が、日本歯科医師会から報告されました。

 平成8年 平成9年 平成10年 平成11年 平成12年 合計 
件数 61112122263

5年前に比較して次第に倒産が増加して、平成12年は倍増しています。この分では平成13年は40件を越えそうです。都道府県別に見てみますと、最も多いのが千葉県で13件、次いで東京都と愛知県が9件です。倒産理由は、患者数の減少と歯科医院の増加が挙げられています。当医院も倒産こそ免れておりますが、患者数の減少と歯科医院の増加をひしひしと感じております。当医院の向かいのビルにも歯科医院が開業されました。「患者さんが歯科医院を選ぶ」時代に突入していることを実感しております。

歯科医師は救急処置が出来ないのか(2002年3月11日)

救急車での「挿管処置」や航空機内での「除細動器の扱い」に関して、厚生労働省の見解に一貫性がないことに問題だと思います。秋田県の消防署では救急隊員による「挿管処置」は、厚生労働省では違法だといっていても、人命救助の立場から行っているという報道がNHKでされています。
日本航空では2月5日より、「自動体外式除細動器」が使用できる乗務員を乗務し始めました。「機内に医師がいない場合の緊急時に限って、客室乗務員が除細動器を使用しても医師法に抵触しない」という2001年12月の厚生労働省の見解を受けての行動です。機内放送で医師を捜している場合に、歯科医師のあなたは手を挙げるでしょうか?
進んで協力してできる限りの救命処置をするのが、医療専門職として当然です。ところが、「市立札幌病院事件」の厚生労働省の見解に従うと、歯科医師は救命処置を行うと「医師法違反」に問われることになりそうです。こんなことがあって良いものでしょうか。人命救助には、客室乗務員には許可されていたり、救急車の救急隊員や、歯科医師ですら医師法違反に問われる可能性があるなんて、この国は人命救助をどう考えているのでしょうか。

「コンポジットレジンより環境ホルモン溶出」新聞に(2002年2月17日)

2001年12月15日づけ日刊紙に報道されたことに関して、日本歯科医師会のホームページに詳しく回答されておりますので、ご覧下さい。
結論は、新聞報道の勇み足で、誤解を招くような報道をしてしまったということです。

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★黒田昌彦のひとりごと(2001年)

「第9」に久しぶりに感動しました(2001年12月24日)

毎年この時期にN響の「第9」を聞くのが恒例になっておりました。自分にとってややマンネリになった感じがしていたのですが、今年は近年になく感動して聞き入りました。
指揮者はハインツ・ワルベルグ氏で、1923年ドイツ生まれだけあって、合唱になると自ら歌っているような指揮の仕方がソリストや合唱団にも影響したのでしょう。とりわけ、第4楽章の合唱になってからが素晴らしい演奏でした。
もう20年以上も前から年末にベートーベンの「第9」を聞かなければ年が越せないような気になっておりました。年の暮れの慌ただしさの中にあって、1年を振り返り、来る年への期待に思いをはせるには、この演奏会がうってつけのように思ってきました。それとて恒例にしてしまうとやはりマンネリになってしまうのは致し方のないことなのでしょう。
ところが、今年の「第9」は、素晴らしい演奏でした。人間って、素晴らしいものに接するとひとりでに感動の涙が出るものだと実感しました。正直言ってこの歳になると、物事に感動することがきわめて少なくなってしまいます。それだけに今日はとてもうれしい1日でした。バリトンの最初の第1声から、とても力のこもった歌い方で、聞かせる声でした。ついでテノールが、懸命に歌っている姿勢が感じられ、メゾ・ソプラノだって、クリアーに聞こえました。いつもはソプラノに消されて存在感の薄い声がとてもきれいに聞こえました。合唱団もいつもと配置が変わって、女性だけが前列に位置していて、迫力が違いました。
人の声って、とても美しいものだということを感じましたし、感動させるものだと思いました。
ベートーベンの天才さを再認識させられた今日でした。

矢崎秀昭先生が朝日新聞に抗議文を(2001年12月24日)

「歯周病退治うがい薬で」という朝日新聞(11月20日夕刊)に、矢崎秀昭先生が抗議文を編集局長宛に11月末に送付したそうです。
矢崎先生は私の同級生で、しかも研究室が同門で、関根 弘門下生です。新宿区歯科医師会会長を歴任され、現在は東京都歯科医師会学術部委員です。この新聞に記事がでる3日前の11月17日に、東京都歯科医師会が主催して一般都民向けの歯周病についての講演会が開催されていて、その案内を朝日新聞にしているにもかかわらず、朝日新聞社は開催のお知らせもせず、取材にも来ないということは如何なものでしょう。
12月21日まで、朝日新聞社からいっさいの連絡がないと聞いています。抗議文のコピーが私の手元にありますが、興味のある方にはファックスしますのでお申し出下さい。
なお、デンタルダイアモンド誌に記事を掲載した山本先生とは、私が電話で話をしました。朝日新聞の田辺記者が面会に来たそうです。山本先生は「新聞に記載された内容と自分の発言とが大きく違うので迷惑している」と言ったと言っておりました。私は山本先生に、「そのことを文書で抗議して下さらないと何も記録が残りませんので取り上げることもできません」とお伝えしました。まだまだお伝えしたいことがありますが、この問題はこの辺でおしまいにします。

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医療制度改革が断行されそうです(2001年12月1日)

行政改革で国民に痛みを与える前に、行政側が見本を示して自らが痛みを味わっていくことこそ必要なことです。国会議員報酬の削減、議員数の削減、天下りの全廃、など多くのことができるはずです。
なのに、特殊法人の民営化も腰砕け、公共事業の見直しもトーンダウン、高速道路建設削減もうやむやです。一番やりやすい医療制度改革だけが先行するのは納得できない。
今までも、2年に1回は医療費の検討が中央医療協議会でされてきています。医療費削減策がいくつも取り入れられてきました。それに比較して、今まで何度も問題点が指摘されてきた特殊法人への天下りや、外務省の交際費などには、今回もメスが入っていないのです。

「歯周病退治うがい薬で」という朝日新聞夕刊(2001年11月20日)

「歯みがきよりも抗かび剤が有効」というきわめてショッキングな見出し記事。
本当ならばそれほど良い話はない。そんなはずはないと思いながら歯周病の専門家に聞いてみたら、歯周病学会はハッキリと否定しているとのことでした。日本歯科医師会も否定しています。
デンタルダイアモンドという雑誌が、この記事の掲載で信用を落とすかどうか、大変に微妙なところです。これほど重要な内容ならば専門学会(歯周病学会)で発表するべきでしょうし、そこで何らかの評価をしてもらうべきでしょう。取材に当たった記者も、他の専門家の評価を伺うべきだし、その意見をそこに掲載するべきでしょう。歯周病の原因菌は世界中で研究していますから、1〜2名の開業医が「カンジダ菌」が原因だと叫んだとしても、世界中の細菌学者や歯周病専門家が認めていないのなら、やはり認めるわけにはいかないと思います。こんな事があるから、EBM--Evidence Based Medicine(根拠に基づいた医療)--が必要だと叫ばれてきているのです。
この新説を唱えた歯科医が、EBMに則って評価をしているのでしたら良いのですが…どうでしょうか?患者さん騒がせな記事でした。この記事に対するフォローを朝日新聞社はするべきです。ジャーナリストの責任を問いたいと思います。

POS医療がなかなか進んでいない(2001年10月10日)

患者さん中心の医療--POS医療--は提唱されてからもうすでに20年以上が経過しています。大学病院でも長い間患者さんを実験動物のような扱いをしてきたものを、「患者様」というように変化してきました。従来「患者」という呼び捨てや「症例」という「もの」のような呼び方が、「様」という呼び方に変わってきたことは、それなりの評価をしたいと思います。
ただ、言葉だけが「患者様」に変わっても、その根底にある姿勢が変わらなければ意味がありません。つい先日、ある歯科医と話していたときに感じたことがあります。「患者さん中心というのは患者さんの望むことをしてあげることですよね。それなら、ここだけ治して欲しいと言ったら、そうしてあげることですよね」というのです。この先生は、患者さんに「迎合」することと、患者さんの「望んでいること」をすることの区別がつけられないようです。
私はいつも「患者さんのためになるか」と自分に問いただしながら治療に当たっています。言葉だけの「POS医療」から、実践する「POS医療」になるためには、まだまだ道のりが長いという感じがしています。尊敬する日野原先生(聖路加看護大学総長)のお姿には、いつも感心させられます。

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AAP学会の参加をキャンセルしました(2001年9月30日)

10月6日からアメリカ歯周病学会(於:ペンシルバニア大学)の参加を申し込んであったのですが、このテロ多発事件のため、参加をキャンセルしました。
ペン大のDr.Amsterdamの門下生が集まるパーティーにも招待されていたのですが、参加できずとても残念です。アムステルダム先生は、私が恩師として尊敬している先生で、「歯周補綴」の大家であると同時に、歯内療法・矯正治療・歯周治療・補綴処置などをトータル的に処置しながら術後経過を追いかけている先生です。
スペシャリストだけが評価されるアメリカでは、オールマイティーな臨床家が評価されないのが残念です。私達日本の歯科医が目標にするのは、アムステルダム先生のようなオールマイティーな臨床家ではないでしょうか?しかも、50年にもわたる経過観察を報告できるのは、世界でもアムステルダム先生ただ一人です。
ペン大の「歯周補綴学」の大学院4年を終了した日本の歯科医が西堀雅一先生(救歯会)で、彼が唯一最後の卒業生です。

医療制度改革の前に、行政側の改革を(2001年9月24日)

健保本人負担を2割から3割に、老人医療の対象年齢を70歳から75歳にする、という方向で決まりそうです。
腹いせかどうか「医療機関にも痛みを求める」という声があるのは理解できません。その改正の結果、受診抑制され、医療機関の収入が大きく減少します。以前は健保本人は初診料だけだったのが、1割負担、2割負担、それが3割になります。
老人医療費も70歳から75歳と適応が変わり、65歳から69歳までの中間的な年齢層の福祉保険、障害者のレベルに応じた障害保険、乳幼児保険、それに国保などが加わり、きわめて複雑です。いつも患者さんの生年月日を気にしながら診療に当たるという煩雑さのために、患者さんのために良い診療を行おうというエネルギーがそがれます。それらは窓口での受付会計、請求方式も異なり、ますます複雑です。国の基本方針がないままころころ変わり、ますます複雑化してくる中では、診療に熱中できる状態ではないのです。
そんななかで、外務省の接待費の水増し請求やハイヤー料金の架空請求などが出てくると、怒りがこみ上げてくるのは私だけでしょうか。こんなに厳しい時代に、国会議員数の削減案が出たり、省庁のリストラが出ないのは不思議です。参議院が本当に必要かどうか、海外援助や国連寄付金(世界でトップの拠出金)が必要かどうか、もっと検討すべき事があると思います。何より、行政側が見本を示して「痛み」を味わうことです。

一日講演となるとデジタルプレゼンはどうも…(2001年9月23日)

9:00〜17:00までの一日講演となると、パソコンでのプレゼンはまだできません。それには3つのハードルがあります。
・準備が大変
・デジタルプロジェクターが用意できない
・受講者のスライドやX線写真を比較して見たい場合。
準備は、今までなら症例選択してスライドを選べばそれで出来上がりです。パソコンだとスキャナーで取り込むことをしなければなりません。字幕スライドもほとんどできているのを使えば、新たに作成するのは10〜20枚でこと足ります。パソコンだと、新たに文字を入力しなければなりません。1〜2時間講演ならまだしも、一日講演だと、症例選択やスライド選びに多くの労力がかかってしまい、とてもできなくなります。その証拠に、9月24日の講演の準備では、この1週間は連日12時近くまでかかり、土曜日は丸1日中スライド選びでした。
のプロジェクターは自前の物を持参すればいいのですが、都内なら可能ですが、遠方ではとてもできません。持参すると仮定して、ノートパソコンとプロジェクターを持参する場合と、スライドの量とを比べると、圧倒的にスライドの方が身軽です。
受講者のスライドやX線写真を映す場合は、残念ながらどうしてもアナログにならざるを得ません。

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ニコンD1の使用頻度が多くなりました(2001年9月23日)

デジタルカメラで口腔内写真を撮る頻度が増えてきました。初診患者さんはすべてデジカメ、リコール患者さんもすべてデジカメ、アナログカメラの登場場面はスタッフ用と移行時期の患者さんの数名だけです。もう2〜3ヶ月で、私がアナログカメラを持つことはなくなりそうです。とは言っても、長野の北川原 健先生はニコンD1を1年間使った後で、アナログに戻ったということがあるので、私もそれほど自信がありません。

救歯塾では5名全員がパソコンプレゼンに(2001年9月9日)

演者5名のうち2名がスライドだというので、できればパソコンでとお願いしたところ、どうしても1名だけがスライドということでした。
当日になって、その1名のスライドを西堀雅一君がスキャナーで取り込んで1時間ほどでデジタルプレゼンにしてくれました。診療室までの往復がタクシーでしたが。デジタルプレゼンがすごい勢いで救歯会に広まる状況です。

デジタルプレゼンやってみました(2001年8月26日)

救歯会の恒例のサマーセミナーが、8月24日〜26日の2泊3日、軽井沢にて合宿形式で開催されました。参加者30名ほどで、医歯薬出版社やクインテッセンス出版社の方も参加しました。
24日の午後7:00集合で8:30から前夜祭が、新人紹介から始まり、歯科技工士のメッキ法の紹介や「ご相談症例」などと深夜まで歯の話で終始しました。
25日は9:00から全員のケースプレで、統一テーマ「根分岐部病変の処置」で、午後4:30まで行われました。夜はまた「つっこみ討論会」と題して、時間切れとなった3名の発表者のスライドを映写しながら、討論が続きました。その後また「ご相談症例」を3名の発表者により、深夜まで続きました。
26日 9:00〜11:30を私の発表で、デジタルプレゼンテーションを行いました。10症例で経過20年以上を6例まじえた発表を行いました。上顎と下顎で対応が異なり、根分割や抜根などと対応が異なり、修復があるかどうかも問題です。症例に興味があったことも事実ですが、デジタルプレゼンにも大いに興味があったようです。救歯会のメンバーも、デジタルプレゼンに移行する者が多くなりそうです。

歯科医師連盟「参院選前10億円借金」と朝日新聞(2001年8月18日)

歯科医師会の「政治連盟」が、ある特定の政党(自民党)に献金をすることの是非は、以前から多くの議論を呼んでいました。99年分として6億6千万円が献金されています。98年の選挙で、大島慶久氏を自民党名簿に上位登載させるために、24万人分の党費を日歯が立て替えたという。今年は元日歯会長の中原 爽氏が20位で最下位当選しました。それに4億円余が使われたらしい。
10億円もの大金を政治に使って、どれだけのメリットが得られるのでしょうか。国民からひんしゅくを買うばかりではないでしょうか。それらの金を、国民への健康指導や、意見広告費などに使えないものだろうか。

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夏休みはデジタルプレゼンテーションの準備(2001年8月19日)

昨年の夏休みはホームページの自作でした。今年の夏休みも結局、デジタルプレゼンの準備に、パソコンに向かいっぱなしでした。4日間を朝から晩までデジタルで過ごしましたら、「目からウロコ」でした。長い間、取り組んでは中断、今度こそと思いながらやっぱり遠ざかっていたPhotoshopがようやく少し見えてきました。カラーシンクロ、ガンマ、色温度、RGB、CMYK、など画像というものが少し見えてきました。
解像度、色の3要素、補色、レイヤー、画像サイズ、保存形式、色調補正、フィルタなどが分かってしまえばそんなこと…ということなのに、分かるまでの長い道のりでした。
「40歳からの手習い」ならぬ「60歳からの手習い」になっています。

歯科医師国家試験に実習が課せられる(2001年8月5日)

歯科医師だけ平成16年の国家試験から実習が課せられるようになったそうです。大変良いことだと思います。(遅すぎたけど)
筆記だけで試験を行ってきたことに、多くの批判が出てきたことによるものと思います。知識だけ詰め込んで、何もできない歯科医を卒業させる大学教育に問題があります。本来は5年生の後半から1年半を臨床実習を行うことになっているものを、大学が国家試験の受験予備校化して、4年で教育を終わらせ、5年生からの2年間を国家試験の問題集勉強に重点を置き始めました。大学は、国家試験が難しくなったのでそのための勉強をしないととても合格できないから、と言います。目的がすり替わってしまって、診療ができる歯科医になることよりも、国家試験に合格することが目的になっていました。
私は国家試験に実習があった方がいいと、ずいぶん前から言い続けてきました。実習が試験から省かれて15年ほどになります。腕のない歯科医が増え、手の動かない歯科医が増えました。大学も臨床軽視の傾向がありました。臨床のできない教授や、臨床をやらない教授が横行しておりました。研究論文数や学会発表数で評価される世界ですから、今後も変わらないかもしれません。(残念ですが)実習を教育する方が、大学にとってもいい方向に向かっていると思います。

決して容易ではないデジタル化(2001年8月5日)

デジタル化がそれほど容易ではないということがよく分かりました。露出をマニュアルで行うのですが、そのテストをするにも、D-1のモニターではできません。パソコンと繋がらないといけないのに、それが容易なことではないのです。
D-1の扱いは、マニュアルに従い、何とかできたとしても、パソコンにダイレクトにデータを転送するのがうまくいきません。コードをつなげても、転送先のソフトを指示してきて、決められた画像データベースを指定してきます。「そんなソフト持ってない!」ということで転送できない。カードリーダーを手に入れなければ…。ソフトを買うか、カードリーダーを買うか、でまたおあずけ。アナログスライドのデュープテストも、カメラの設定や倍率、コピースタンドの準備とイルミネーターの色温度の確認、などと、これもなかなか時間のかかることです。まだ口腔内写真の実際ができておりません。

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デジカメのニコンD-1Hを手に入れました(2001年7月28日)

臨床歯科を語る会で初めてデジタルプレゼンをしたことがきっかけで、急激にデジタル化へと行動を開始しました。金子一芳先生が2000年1月から歯界展望に連載された時期から、デジカメでシステムを変えることを検討してきました。今まで踏み切らなかったのは、カメラの知識よりコンピューターの画像処理の技術の方が優先だという言葉にひるんでしまったからです。
今回発表のために実際にやってみたら、自分でも出来ることが実感できたことと、その当時よりもソフトや周辺の環境が揃ったことで、踏み切ることに決断しました。今までの症例スライドがアナログだし、その膨大な量のデジタル化が悩みの種だったのですが、必要なときに必要なスライドだけデジタル化することだと思い直しました。そのデジタル化が、スライドスキャナーよりもD-1で撮る方が、早くて簡便だということを実感できたのです。来週からD-1で口腔内写真を撮ってテストを始めます。

デジタル化を進めるに当たって悩んだこと(2001年7月25日)

画像の色をきちんと見るために、モニターがまず問題です。アナログスライドをスキャナーで取り込んだり、D-1でデュープしたものの色調整をするときに、モニターでの判断が問題です。今のモニターが3年くらい経っています。それにカラーシンクロがきちんとされているか問題です。スライドスキャナーはニコンのクールスキャンでこれまた4年くらい経ったものです。スキャニングしてもどうも色がうまく出ませんで、悩んでいました。デスクトップマシンもFureWireポートがありません。HDも6G程度です。この3〜4年の進歩はすごいものがあります。すべてが変更せざるをえない状況となりました。
プレゼン用ソフトも Persuasion を使っていたのですが、version upしなくなりましたし、Power Pointがどうにも好きになれなくて悩んでいました。Photoshopがが多機能すぎて難しくてなかなかマスターできませんでしたが、Photoshop Elements(¥9,800)がでてきてからかなり私のような初心者でも出来そうなのがうれしいです。

初めてデジタルプレゼンテーションに挑戦しました(2001年7月15日)

臨床歯科を語る会の最終日の発表者として、1週間前の7月6日には字幕を含めスライド準備が全部終わっていました。7月6日のこの欄でもデジタルはあきらめアナログに決定したと書きました。ところが最終日の発表者は、金子一芳先生と永田省蔵先生と私の3名に司会が鷹岡竜一先生で、私以外はみんなデジタルプレゼンだというのです。私一人のために、会場設営でスライドプロジェクターを2台とデジタルプロジェクターの両方を準備するのが大変だというのです。それに気づいたのが7月9日です。10日から急遽デジタル化に向けて準備が始まりました。強力なお助けマン-金子一芳先生-のお力添えなくしてはとても出来ないことです。
アナログスライド(約80枚)のデジタル化に、金子先生の診療室で2時間余。それから帰ってパソコンで組み初めて夜中までやってもようやく4枚ほどしかできない。11日にまた金子歯科で1時間ほど特訓を受けて、自院で夜中までやって10枚ほど。12日にようやく24枚完成しました。13日は当日の準備や前夜祭があって何の用意もできません。14日懇親会が終わった後、夜10時頃ようやくパソコンにデータを移してもらい試写して写ったときにはホットしました。
連日の睡眠不足からか、15日の朝には寝坊してしまい目覚めたのが8時半で、ようやく会場に駆けつけたのが9時5分過ぎでした。発表当日は、そんな素振りは全く見せず、こともなげに発表をスムーズに行いました。金子先生にはとても感謝しています。

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臨床歯科を語る会が終わりホットしています(2001年7月15日)

7月13日〜15日に、年1回のスタディーグループ全国発表集会の臨床歯科を語る会が無事終わりました。今年は例年の日本青年館から国立青少年綜合センターへ移動しました。会場が変わったことで、いくつかの戸惑いがあったものの、全体会の広さと居住性はとても良いものです。宿泊が3カ所に分かれたものの、全員がバストイレ付きのシングルルームでした。何よりも最も特筆すべきことは、デジタルプレゼンテーションが急激な勢いで増えたことです。全体会会場の3つのテーマのうち、2つがデジタルのみとなりました。このうち、デジタルプレゼンをしたのが熟年の発表者でしたし、アナログのスライドプロジェクターを使ったのがなんと新人発表(若い方々)なのですから不思議です。3つの分科会場では、1つは全部デジタル、他の2つが半分デジタルでした。
会場には、2台のスライドプロジェクターとデジタルプロジェクターの両者を用意しなければならないので、煩雑で経費がかさみます。この勢いでは、来年からはデジタルプロジェクターのみに統一しても?という噂が出ているほどです。

NHKスペシャル「医療・信頼は回復できるか」を見て(2001年7月7日)

増え続ける医療事故に対して、「医師の裁量権」に任せておいて良いものかという問題提起。同じ病院のなかでも、医師によって治療がまちまちだと言われても、われわれとしては至極当然と思える。
だからこそ、「症例検討会」が必要だと訴えてきました。日本の歯科では、臨床歯科医によるスタディーグループが、その役割を担ってきました。ただあまり評価されてきませんでした。大学病院とは別の組織だということや、スタディーグループには変わり者が多いということもあったのでしょう。スタディーグループにも色々あって、「症例検討」を全会員に義務づけているところはむしろ希です。この「症例検討」は、歯科医自らの処置を多数の歯科医の前にスライドやX線写真を使って発表することです。このことで、歯科医院での「密室処置」が、「公開処置」に移行できるわけです。多くの歯科医の前で発表するときには、足がガクガクするほど緊張してふるえが出ることもしばしばあります。歯科治療というのは、処置の記録が残るという特徴があって、X線写真やスライド写真にクリアーに残ります。内科や精神科の処置は記録がカルテだけです。客観性に乏しいものです。歯科の処置は、歯科医が見落としたり処置できないことも明瞭に残ります。だから発表することが厳しいのです。したがって、このような「症例検討会」があまりやられていないのです。これからは、症例検討会が必要だと、今まで以上に訴えたいに思いました。

好きな中坊公平さんの言葉です(2001年7月1日)

「死」というものへ向かって「着陸」しようと思っています。「墜落」ではなくて「着陸」です。
着陸とは、「力をもった状態で人生を降りることで、墜落とは、「力がなくなって落ちてしまうこと。そして「力」とは、「希望をもって明るく生きることで、同時に人に多くを感謝し、人に感謝される生活を送っていくこと」です。(13年7月ある機関誌の講演記録より)

「中坊公平・私の事件簿」(集英社新書、2000年11月刊 ¥660)はベストセラーにもなっています。ぜひ一読を。
人間としての生き方を教えられる本です。法律用語がほとんどなく、分かりやすく書かれていて、諭すような語り口につい引き込まれてしまいます。14の事件について、それぞれ、ケース1〜ケース14と書かれていて、まるでカルテのように、資料をしっかり保存してあり、「事件が弁護士を育てていく」というスタンスは、「患者さんから教わる」という姿勢のわれわれときわめて類似しています。
各ケースについて「事件の概要」から始まり、「教訓と思い出」と述べていくスタイルも、われわれのケースプレゼンテーションと同じです。「現場主義」ということが随所で語られていますが、「現場に足を運び、五感を総動員すれば問題の本質が見えてきます。事件をひもとく本質は法律にあるのではなくて現場にあります」という言葉に、つよく共感しました。
超オススメです。

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良い言葉見つけました(2001年7月1日)

安楽寺(信州上田)の住職の言葉を色紙にしていただいてきました。題は「本気」です。
「本気ですれば、大抵のことができる
本気ですれば、何でもおもしろい
本気でしていると、誰かが助けてくれる」

自分に打ってつけの言葉だと思いました。ホームページを自作したのも、救歯会をおこしたのも、救歯塾を始めたのも、臨床歯科を語る会の世話人をしているのも…、 本気でしていると、多くの方々が助けてくれます。すごくありがたいと思っています。この言葉を眺めると、不思議と気持がふっと楽になるのです。 みなさんもどうか試みて下さい。

サラ・ブライトマンのコンサート聞いてきました(2001年6月3日)

4月25日NHKホールで初めてサラ・ブライトマンの生コンサートを見てきました。実は3年ほど前からはまってます。もともとは、ミュージカル「オペラ座の怪人」をニューヨークで見てからのことです。「オペラ座の怪人」初演のプリマがこのサラ・ブライトマンなのです。ニューヨークで見たときのは、彼女ではないのですが、事前に聞いていたCD2枚組のが彼女のものでした。それはもう、素晴らしいの一語につきる声です。ソフトで柔らかくて、美しくすき透った高音です。
近年、ミリオンセラーのCD「Time To Say Goodbye」で一躍一般の方々に知れ渡るようになりました。このCDはジャンルとして「ヒーリング」に入れられているようです。ポップス、クラシック、クロスオーバー、どこにも入れられない新しいジャンルなので、探すのに苦労します。サラ・ブライトマンのCDは6枚ほどありますが、先程の「Time To Say Goodbye」、「エデン」、「LA LUNA」の3枚がぜったいオススメです。
もし、容姿にも興味をお持ちなら、ビデオが2巻出ています。とてもチャーミングですてきです。

補綴学会で発言してきました(2001年6月2日)

「歯科医師臨床研修-現状と対応」のシンポジウムで、座長の古林義典先生から発言を求められました。私は、「プライマリー医療として、補綴ができることが少ないと考えるのではなくて、補綴としていっぱいやることがあるので、できるように教育して欲しい。義歯が壊れた、義歯がゆるい、前歯がとれた、外傷性咬合で歯肉が腫れている、ブラキシズムで歯が浮いているなど、プライマリーとしてやるべきことがいっぱいある。プライマリー医療ができずしてクラウン・ブリッジやパーシャルデンチャーなどできないはずだ」と訴えてきました。
平成18年には臨床研修が必修となります。卒前教育の不備、卒前・卒後カリキュラムの一貫性の不備、学生の患者さんに対する態度など、色々不備が指摘されました。1年間の臨床研修でとても教育できないので、「補綴を理解するだけで、補綴をするところまでできなくていい」という発言が出るほど。そんなことではとても困ると思いましたから、つい発言しました。初診時に印象採得ができるなんてことは、臨床ではあり得ません。プライマリー医療ができてから、プラークコントロールのモチベーションを行い、その後に補綴方法を考えるというプロセスを踏みます。大学の臨床は、補綴科に来院してからの処置なので、すぐクラウンかブリッジかパーシャルデンチャーと考えるのですが、その考え方が問題です。先が遠いと感じました。

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豊永美津糸先生ご逝去さる(2001年5月20日)

福岡県飯塚市の豊永美津糸先生が4月28日にお亡くなりになりました。 83歳でした。ゴールデンウィークの最中で連絡が取れなかったためか、淋しい葬儀だったとか。ご逝去の知らせをいただいたのが5月7日、私も葬儀に行けませんでした。私の大変貴重な恩師のお一人で、私は自分の父親だと思って参りました。5月12日に、金子一芳先生とご一緒に、焼香に伺いました。奥様が臨床歯科を語る会のことや、 一昨年私がお邪魔したことも覚えていて下さって、この10年くらいの闘病の状況を詳しくお話しして下さいました。ご子息が4年ほど前から、九州大学より戻られて診療されているとのこと、 安心しました。先生には臨床歯科を語る会の会長を長く引き受けていただきました。「見てる、聞いてる、知っている、というのと、やったことがある、やれる、というのには大きな隔たりがある。やれるようにならなければダメだ」という先生のお言葉は、今でもはっきりと記憶しておりますし、よく講演で使わせていただいております。
30年ほど前、火曜会で豊永先生のお話をお聞きしてからが、欠損歯列への取り組みのスタートでした。それが、リジットサポートへの最初の一歩でした。本当に多くのことを教えていただきました。また一つ大きな星が消えていきました。先生のお教えを守りつつ、臨床歯科を語る会も続けながら、先生の思想を伝えていく努力をしていこうと思います。どうか安らかにお眠り下さい。先生のご冥福をお祈りいたします。

救歯会10周年記念発表会が盛会で終わりました(2001年4月26日)

4月22日血脇記念ホールが220名の満席となりました。企画が当たったのか、聴衆は面白いものが分かっているのか、午前中休憩なしの3時間を中座する人もなく、熱気あふれる雰囲気でした。26名もの発表で16:30に終了の予定が、20分も早く終わるなんてこと、私も初めて経験しました。午前中の「例会再現」は、こちらにしてはヒヤヒヤものでしたが、聴衆は丁々発止のやりとりが面白かったらしく、後のアンケートで高い評価をいただきました。午後にも「全員討論会」で症例検討を行ったのが、変化に富んでいて興味を読んだようです。ただ会員発表の連続だと飽きてしまうでしょうが、適宜討論を含んだのが良かったようです。
朝6:30に全員集合して会場設営、スライド試写、全員でのマイクテスト、などを行ったことが功を奏して、スライドのエラーが全くなく、きわめて順調に進行できました。
北九州から下川公一先生など4名、熊本から松田光正先生など3名、横浜の丸森英史先生、火曜会の金子一芳先生、宮地建夫先生など7名、田無市の押見 一先生、北海道や青森県や和歌山県などの遠方の先生など、お忙しい先生方にお越し頂きまして、深く感謝しております。

東京歯科大学学外セミナー講師を務めました(2001年4月19日)

新入生のための学外セミナーと称して、2泊3日の合宿がありました。木更津のアカデミアホールで行われました。今まで、6年生や2年生などに講義をしてきましたが、新入生対象は初めてです。なかなか面白い企画で、学生はチュートリアル方式で学ぶ方法を修得するようになっております。1週間前に課題を与えられ、ノートパソコンを全員買ってもっていて、インターネットで文献検索したり、情報収集します。
課題は「インフォームドコンセント」と 「医療過誤」について、グループ討論しながら、最終日にグループ発表をパソコンでプレゼンテーションするのです。私は「医療現場から新入生へのメッセージ」と題して、 歯科医はどんな仕事をするかを伝えながら、臨床医へ向けての勉強の仕方を講義してきました。このときとばかり私のホームページを紹介して、学生に見せてきました。1年生からパソコンを全員が使うこと、インターネットを駆使すること、チュートリアル方式で学ぶこと、などを今の教育が進めている進歩性に感銘を受けて帰ってきました。

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山形県米沢市の講演では感激しました(2001年3月6日)

2月24日に午後3時間講演してきましたが、つい乗ってしまい時間オーバーしてしまいました。あまりにも聴衆の方が熱心だったものですから

前日の夜に米沢駅に着いたら、私に10種類の和菓子を1個ずつ箱に入れてどうぞと渡されました。これには参りました。甘党の私のことを十分に知り尽くして、心憎いほどです。
事前に会員のほとんどが私のホームページを見ていること。講演前に、「講師は笑顔だけど講演前には結構緊張しているものなんですってね、ホームページに出ていました」という言葉をかけられ、驚きました。

スタッフの方々も多く参加して下さって超満員でした。

講演を熱心に聞いて下さったこと。会員は30名ほどですが、スタッフを交えて100名を越える大人数でした。

質問も多く出て、やりがいのある講演会でした。しかも良く聞いていただいた嬉しい質問でした。

二次会で米沢牛をたらふく頂きました。すき焼きの美味しかったこと、天下一品です。
講演内容やホームページの内容についての質問が、色々と出て、時間を忘れるほど楽しい1夜でした。

これほど充実した講演会は記憶にありません。三次会はカラオケがないこと。ずーっと質問や感想を語り合う雰囲気は、とても楽しく充実しておりました。カラオケは会話ができなくなるので、好きになれません。

米沢市の会長に脱帽(2001年3月6日)

これほど骨のある歯科医師会会長にあったことがない。
1. 米沢市の知的障害者の施設に案内された。重度の知的障害者に握手を求められたり、若い女性に抱きつかれたりの歓迎を受けて驚いた。その背景には、施設内に歯科診療所があり、そこに歯科医師会会員が交代で診療をしているということがあった。ほとんどボランティアで。
2. 講演前に私のホームページを見てくれて、会員全員にホームページを紹介してくれたこと。60歳近い会長が、自らインターネットを扱えるとは見上げたもの。
3. 地域での公衆衛生活動を積極的に進め、会員にもかかりつけ歯科医機能を積極的に進めている。学術的にレベルが高く、懇親会での話題が楽しい。カラオケなしの二次会を常としている。

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「患者のための評価体制を」秋元秀俊氏(2001年2月24日、朝日新聞夕刊)

歯科の1診療所あたりの収入は減っている。競争が激しくなれば、患者へのサービスが向上するはずだ。しかし現実はそうなっていない。(略)患者減を少しでも補う過剰な診療をしている診療所もあるためだ。(略)問題は競争が患者の利益になるかどうか、だ。診療時間を延ばす診療所は増えているが、患者の歯を長持ちさせるという診療の本質を忘れてはならない。(後略)なかなか味わいのある文章だ。

補綴学会のシンポジウムで講演してきました(2001年1月20日)

補綴学会関東支部会のシンポジウム「補綴治療の現状と展望」の演者として呼ばれました。宮地建夫先生(千代田区開業)、矢崎秀昭先生(新宿区開業)、それに私の3名です。3名とも東京歯科大学出身の昭和42年卒の同級生です。この人選はどうかと思います。それに、宮地先生にはクラウン・ブリッジの立場から、矢崎先生には総義歯の立場から、私にはパーシャルデンチャーの立場から、という割り当てです。これもどうかと思います。われわれ臨床家なら補綴は一つですし、歯科臨床の中で補綴だけ浮き上がらせて考えているわけではないので、これにも違和感を覚えます。そのような認識のズレが多いために、ちっとも楽しくない講演でした。聴衆の少なさにもがっかりしました。聴衆の一人に、後藤忠正先生(千葉県開業)がいらしていて、同級生が4人も揃うことはクラス会でもなかなか実現しないものですから、この4名をシンポジストにしたらさぞ面白い企画になったことと思います。
おそらく二度とこのような機会がないと思いますので、聞けない方には残念なことになっただろうと思います。

初笑いの題材に、「サラリーマン川柳」から(2001年1月8日)

「いい家内 10年経ったら おっ家内」、「目は一重 アゴが二重に 腹は三重」、
「さからわず いつも笑顔で 従わず」、「ねむれない! ひつじの横に ぶたがいる」、
「Tバック 俺にもくれと 湯呑み出す」、「頑張れよ 無理をするなよ 休むなよ」、
「厚化粧 ハエはとまれど 蚊は刺せず」、「5億円 我が家で貯めれば 5億年」、
「はいやります 今すぐやります そのまんま」、「クレジット 支払いかさみ 暮れじっと」、
「貫禄が ついたとたんに 成人病」、「千鳥足 家に着くなり 忍び足」、
「妻のいる ベッドへ牛歩で 行く亭主」、「キレイより ヘアーで売れる 写真集」、
「サンタにも 不況はあると 子に教え」、「イタメシが バブルはじけて モツなべに」。
楽しめましたでしょうか?

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★黒田昌彦のひとりごと(2000年)

歯科情報新聞に憤りを感じます(2000年12月29日)

先月この場で「補綴学会で質問をしてきた」(11月26日)という報告をしましたが、その報道がある歯科関係の新聞に掲載されました。私がマイクを持って質問している姿が写真になっているので驚きました。
ところが、私の名前が無くて「開業医から意見が出された」という報道なのです。質問に立った教授の名前ははっきり出ているのに、顔写真まででている私の名前がないなんて、やはり開業医は軽視されているとしか言いようがありません。
私が質問したことを取り上げてくれたのでこの新聞を買おうかと最初は思ったのですが、内容を見て止めました。やはり許せません。

なぜ術後経過を出さないのだろう?(2000年12月4日)

大学の臨床でも術後経過が発表されて嬉しいのですが、一般的には術後経過がきわめて少ない現象です。なぜ術後経過が出ないのか考えてみました。
1.術後経過が大切だと思っていない。もしほんとうに術後経過が大切だと思えないなら、それは大変なことで、臨床自体を大切だと思っていないことになる。
2.術後経過を出したくとも出せない。これは納得できます。過去の処置は今から見ると未熟で恥ずかしいと思うのは誰しも。
3.対比する資料が揃わない。X線写真やスライド写真が、対比できるように保存していない。これも納得できる。でも努力すべきでしょう。

要するに、術後経過を発表するということは、過去を引きずっている醜い姿を衆目に晒すという非常に厳しい試みであると理解してほしい。
それだけに、発表した方には並大抵の努力がないとできないことでしょう。ただ、見る側にそういった評価をする心構えが備わっているかどうかが問題なのです。1症例でも良いから、術後経過を追いかけると分かってもらえるのですが…。

補綴学会で初めて質問してきました(2000年11月26日)

11月10〜12日に大阪で日本補綴歯科学会がありました。補綴学会のシンポジウムのような大会場ではとても恥ずかしくて質問できなかったのですが、今回は初めて質問をしてきました。
疑問を感じて質問をしたというより、内容が素晴らしかったので何かを言いたくてたまらなくなって発言しました。鶴見大学の福島俊士教授の発表のなかで、遊離端ブリッジの術後経過報告があり、2年経過時からトラブルにみまわれた発表に、私は非常に共感しました。私は延長ブリッジの術後経過がおもわしくなくトラブルが多くてあまりやりたくないと思っていたものですから、67欠損は補綴しなくても良いのではないかと質問しました。さらに、「短縮歯列」を認めてもいいのではないかと申し添えました。それと、鹿児島大学の長岡英一教授の発表で、下顎左右犬歯だけが残存している症例で、術後経過14年追跡されている姿勢に感銘を受けました。しかもその犬歯が、支持組織の骨が1/3〜1/4失われているような状態でしたから、よく保存したなと思われるような歯でしたし、それが1歯が4年、もう1歯が14年持っていることに驚きとともに感動を覚えました。
大学の臨床で、術後経過を追っているということでも大変なのに、それが10年以上もフォローしていることが嬉しくて、そういう教育こそ必要なことだと訴えてまいりました。大学の臨床も変わってきたナーと嬉しい気持ちでした。

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いいものが市販されない歯科界(2000年11月5日)

私の大好きな咬合器で、Hanau 130-7です。デザインといい、工作精度といい、触っていて楽しくなる咬合器です。
顆路型コンダイラー型で、顆頭間距離が変えられる咬合器です。10年以上前から製造停止で入手困難です。どなたか余っていたら、ぜひ譲って下さい。

矢崎式咀嚼運動器もまた私が好きな咬合器です。これも製造停止で入手できません。咀嚼第4相だけを再現することに絞った咬合器は、独創的理論に裏打ちされた単純機構の咬合器です。

金子一芳先生が開発されたSplit-Cast Plateは(株)東京技研製造、(株)ジーシー販売でしたが、これも製造停止で入手できません。
チェックバイト法を用いた咬合器への顎運動のトランスファーは、このSplit-Cast Plateを使うことで飛躍的に精度が向上できたのに、その価値が多くの方に評価されることなく終わるのがもったいない気がしています。 Split-Cast Plateはまとまれば作ってくれそうですが…。

チェックバイト法といえば、前方チェックバイトしか教わらない学生教育では、咬合器の真価が体験できず、卒業後も咬合器を使おうという気運がわかない。
側方チェックバイトを採得して、このSplit-Cast Plateを用いて患者さんの顎位をトランスファーすることを1度でもやっていれば、咬合器に対する認識が大きく変わっていただろうと思います。

自家歯牙移植への誤解(2000年10月23日)

欠損歯列に対する処置のオプションとして、インプラントか自家歯牙移植かという適応における討論がよくされます。両者に対して、多くの利点欠点が挙げられます。
1.インプラントの利点・欠点:供給はいくつでもある、手術が容易、二次カリエスがない、費用がかかる。
2.自家歯牙移植の利点・欠点:歯根膜の存在、智歯の有効利用、加圧要素の歯を減らすことができる、術式が困難、歯槽骨の量(幅)が必要。
さらに大きな差は、両者とも咬合支持を得るために行われるのはメリットであるが、骨との癒着か、歯根膜支持かが大きく異なる。歯根膜支持であれば、ブリッジの支台歯にもなれるし、咬合接触関係も通常通りで対合歯にも問題がない。
もっとも大きな違いは、自家歯牙移植が加圧要素を減らして受圧条件をよくして、受圧・加圧のアンバランスを改善できることです。
「どうして自家歯牙移植なの」という素朴な質問には、欠損歯列の術後経過を追って悪戦苦闘してきた体験がない歯科医には、残念ですがなかなか分かってもらえないことかもしれません。ぜひ欠損歯列の術後経過を追いかけて下さい。きっと分かっていただけると思います。

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かかりつけ歯科医になろう(2000年10月23日)

4月からの歯科健康保険で「かかりつけ歯科医初診」が新設されました。どういう訳か分かりませんが、全国的にあまり進められていないようだと聞きます。
私は大きな誤解をされているのではないかと思います。もともと歯科診療は、かかりつけの形態を備えていると考えています。あらためて何か新しいことを進めるということではないと認識しています。
「歯医者って良いよねー」と産婦人科医の姉兄3人(姉と義兄2人)から言われます。「産婦人科医は、女性だけが患者さんで、しかも10歳から50歳までだもの」。歯科医は、男女にかかわりなく、幼児からお年寄りまでが患者さんです。その上、0歳検診とか寝たきり在宅往診診療なんて患者さんを拡大しているわけですから、国民すべてが対象なのです。そして、家族みんなを診ていくという診療形態は、まさにかかりつけ歯科医の姿ではありませんか。
私は以前から、かかりつけ歯科医の診療形態にしていきたいとすら思っておりました。したがって、今回の「かかりつけ歯科医初診」の新設は、待ってましたという感覚です。詳細は、日本歯科医師会雑誌10月号をご覧下さい。

なぜ総義歯のセミナーがもてはやされる?(2000年10月16日)

総義歯はほんとうに難しいですか?
私は総義歯でセット後に悩んだことなどありません。二次カリエスで悩んだこともありませんし、歯周炎に苦しめられることもありません。ましてやプラークコントロールのモチベーションで苦労することもありません。
なのにどうして、総義歯で困っている歯科医が多いのでしょう?不思議でなりません。印象採得や咬合採得が難しいのでしょうか?粘膜相手の総義歯に比べ、歯牙と顎堤粘膜が混在しているパーシャルデンチャーの印象採得の方が難しいはずです。咬合採得だって、現存歯や噛み癖に左右されるパーシャルデンチャーの方が難しくなります。
ほんとうに総義歯が難しいのですか?もう一度お考えください。

経過観察しないなら、どんな処置でもできる(2000年10月16日)

自分で処置した患者さんを、5年、10年、15年とフォローしようとする姿勢があれば、自ずと節度ある治療しかしません。ところが、経過観察しない歯科医は、その後の責任も感じないので、どんな治療でもしてしまいます。
「先のことなど分からない」というのも本音かもしれません。先が分からないから、記録を残して経過観察していくことが必要なのではないでしょうか。経過観察の結果こそ、どんな教科書より身になる気がしております。

術後経過のない論文は、読まない(2000年10月16日)

華々しく紙面を飾っている論文も、術後経過がなければ読まないことにしています。情報が氾濫しているこの時期、経過観察のない論文まで読む時間がもったいない。術後経過が出てきてから読んでも十分間に合うだろうと考えています。
インプラントの症例報告も最近は術後経過が述べられていて、好感が持てます。歯科関連出版社の編集に携わっておられる方にもお願いいたします。症例報告には是非術後経過をつけるようにお願いしてください。歯科専門学会の認定医検定のケースプレゼンテーションも、術後経過が義務づけられています。

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社保指導者研修会の講師をして感じたこと(2000年9月15日)

9月5日に社保指導者研修会に講師として呼ばれました。社保指導者というのは、各県庁の厚生省技官、各県保険審査員、県の保険担当理事、それらの関連の総勢600名の方々です。
開業医が講師になることも珍しいし、普段は指導を受けている身でありながら、その指導者に向かって何かを申し上げるのも、とても面はゆくてやりにくく感じました。
打ち合わせ会で、厚生省医療課の先生と話す中で、私自身の偏見と誤解に気づかされました。医療費抑制策と療養担当規則ガチガチの方々ばかりだと思っていたのですが、現場の臨床が大変よく分かっていて、歯科医師会の意向もよく分かっておられるのには、いささか驚かされました。私は次の2点を訴えてきました。

1. X線写真の規制を外してほしいとお願いしました。枚数や期間、パノラマとデンタルの同時請求、精密検査時の全額X線写真などへの規制です。指導料や基本検査などの形に残らないものに比べて、X線写真は記録がはっきり残るもので、架空請求など絶対にあり得ないものです。とくに、パノラマとデンタルは撮影法が異なるし、読像できるものも違います。一般医科では、胃の検査でパノラマ大のX線写真が同時に4〜6枚認められているのに、歯科ではパノラマ1枚だけというのは、格差が大きすぎます。
2. 「補管」(補綴物維持管理料)が認められるなら、「現存歯維持管理料」も認めてほしいとお願いしました。補綴物が大切なのですか、歯牙の方が大切なのですか、と訴えました。

「インプラントの流行にひとこと」(2000年8月18日)

10年前、5年前に比べて、確実にインプラントへの評価が高まってきたし、今では成功が当たり前になってきました。それは喜ばしいことです。臨床レベルがある程度の歯科医が行っているものについては、予知性もあり成功率も高いといえます。
ただし、X線写真が診断できるレベルに至っていない術者が行っているのには、依然として目を覆いたくなります。自分のX線写真のレベルに気がついていないことが問題なのです。
ついで、欠損歯列の読み方・診断ができない方がインプラントを行っているのは どうも気にかかります。「義歯がうまくいかないからインプラント」、「患者さんが取り外し義歯が嫌だといっているからインプラント」 という発想の術者が問題です。
欠損歯列が読めないから義歯がうまくできないのであって、補綴の診断が先決なのです。せめて、Eichnerの分類、咬合支持指数、咬合三角、くらいのことは常識程度と認識すべきです。
インプラントは自費診療で、高額な医療ですから、訴訟も多いと聞きます。術後のアフターケアーの体制が十分とれることが必須です。術後の経過観察もなく、リコール体勢もなく、顧客名簿も完備してない歯科医院が問題です。経過観察できる体制、すなわちX線写真と口腔内カラー写真が術前術後で比較できるレベルにあることが最低限必要です。

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